放課後は 第二螺旋階段で

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「順列都市」の何が凄いのか全然分からなかった自分はSFさんだった

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20061216/p2

 かれはいかなる意味でもそう「思い込まされている」のではない。本当に心の底からそうかんがえているのである。しかし、ふたたび人格を改変すればそんなよろこびは露と消えていく。人間の自由意志とは何なのか?

 「順列都市」を読んだとき、それほど面白いとも凄いとも思わなかった自分は、ここの説明で「人格改変」そのものが珍しいということをやっと知りました。


 自分の人格改変指向についてはここの非常に長いコメント欄と3、4番エントリ参照・・・・・・
http://d.hatena.ne.jp/kanabow/20061202
 義務教育期間の終わり頃からこういった調子の人格改変を続けて、「手入れ」も続けて、そのことがすっかり普通のことになってしまって、そうしていなかったときのことなんてもう思い出せないくらいの人間にとっては「人格改変」は食事をするのと同じくらいに日常的なことでしかありません。
 一般的に言われる「自由意志」は、改変が普通になると「どう改変するのか」というところにかかってきます。「何を幸せだと感じるように訓練すれば利益が得られるのか?」「どの効果の薬品を選ぶのか?」
 一般的に「人間らしさ」といわれるものについては、言葉としての意味は分かるけれど、一般社会で多数派とされるものに近い実感を持つのはもうすでに困難になってしまっているのではないかと思います。
 こんな人間から見ると「順列都市」は「永遠の作り出し方がおもしろいけど、あとはどうということはない話」で終わってしまう。


 余談ですが、自分が使っている「人格改変テクノロジー」は「順列都市」を書いた「グレッグ・イーガン」と同じオーストラリア製のようです。オーストラリアってどういう国なの!?