放課後は 第二螺旋階段で

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フィクション最強の敵は親

 富野由悠季は親との間に相当の確執がある、というのは本人のエッセイで知っていますが、それを別にしても日本の若年層向けフィクションでは「親」という存在が積極的に排除されているものが多いのは気になるところ。
 主人公は初めから孤児だったり、物語の開始直後に親が死んで自立を強制されたり。
 そして親の代わりにいるのは「師匠」といった、縁を持たない他者で純粋な技能者。
 他国でもこんな作風が普通なのでしょうか?


 自分でシナリオを作って遊んでいても、親という存在は大きくなりすぎやすくて邪魔だって分かりますけど、何でそうなっちゃうのかは精神分析系の人が本の一つでも出していたって全然おかしくないと思います。
 もう出てるかも?

このエントリの訂正点

 自分がいうフィクションに、2000年代のものは入っていません。何故かというと単純に「見てないから」