放課後は 第二螺旋階段で

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「第二次大戦のソ連航空隊エース 1939‐1945」 ヒュー・モーガン 翻訳:岩重多四郎 翻訳監修:渡辺洋二

 タイトルは素っ気ないものですが、内容は100ページもない量に圧縮された「ソ連の戦闘機乗りから見た第二次世界大戦」といった構成で網羅性の高いもの。


 ハードウェア・ソフトウェアともに貧弱で、ノウハウを編み出した人員が粛清される事件さえ起こる中、それでもソ連空軍がめきめきと力をつけていく様は感動的ですらあります。


 翻訳の岩重多四郎は『第二次大戦駆逐艦総覧』という膨大な情報量を詰め込んだ本を、ただ訳するのみならず原著の誤り訂正まで行った非常に熱意のある翻訳家。翻訳監修の渡辺洋二は名前で本を買う人も珍しくない位に評価が高い航空戦史研究家。この上ないくらいに強力な組み合わせ。
 ロシア語のカタカナ表記も単なる慣習に従うだけでよしとせず原音重視の新訳とされ、従来一般的に使われていたものとは若干違う表記になっています。


 非常に密度の高い本なので第二次世界大戦ソ連空軍関係では特に推薦したい一冊。

個人とその戦果について

 本のタイトルからしてみればこの項のことだけ書いていても全くおかしくないのですが、他の部分まで俯瞰してくれるから読みやすい。


 ソ連では10機落とせば老いも若きも男も女も問答無用でソ連英雄金星章が一コ貰えるというXBOX360ゲームの実績ばりの明快な褒賞システムが採用されています。
 敵機一機撃墜で1000ルーブリなんて賞金まで出たり。ボーナスキャラのハンス・ウルリッヒ・ルーデルを仕留めればその賞金はなんと10万ルーブリ也。


 情報そのものとは若干無関係ですが、この本では回想の言葉がディスカバリーチャンネルに出てくる若い米兵の吹き替えみたいな砕けた語調に訳されているのが何だか楽しいです。一人称は俺。三人称はやつ。

  • イヴァーン・コジェドゥーブ

 これは誰だ。 
 彼こそが最多撃墜のソ連戦闘機パイロット。62機撃墜。ややキャラが薄い…
 主な乗機はLa-5FNとLa-7。
 Mig-15に搭乗して朝鮮戦争にも参加したそうです。

  • グレゴーリイ・レチカーロフ

 ポクルイーシキンのライバル。61機撃墜と数字は一回り上。
 自分の戦果にしか興味がなく、連隊長として出撃したのにも関わらず指揮を放棄して1回の戦闘で列機3機を失うことも。ほとんど全滅では…
 主な乗機はP-39エアラコブラ

  • アレクサーンドル・ポクルイーシキン

 西側では最も有名なソ連のエース。59機撃墜。もと整備兵。
 いくつかのエピソードで彼の天才的な戦略眼を知ることができます。
 ソ連崩壊前の1985年に亡くなっていて検閲無しの回想録を出版することが無かったのは非常に残念。
 主な乗機はMig-3、P-39エアラコブラ、Yak-3。

  • アレクサーンドル・コルドゥーノフ

 20歳で搭乗員学校を卒業し1年と経たずに実戦参加した若きエース。46機撃墜。
 主な乗機はYak-1、Yak-3。
 この戦果は良かったのですが、戦後数十年経ったところで彼の幸運は終わりました。
 1987年、空軍元帥にまで昇進したコルドゥーノフは19歳のドイツ人マティアス・ルストの軽飛行機が赤の広場に着陸した事件で責任を問われ罷免されてしまうのです。
 若くして活躍した人間が後の若くして活躍した人間にキャリアを断ち切られる。

  • リーリャ・リトヴャック

 最も有名な女性エースパイロット。11機撃墜。
 16歳でライセンスを取得している上に飛行教官の仕事をしていたためソ連の中では飛行歴が格別に長く、*1女性だからといって戦闘パイロットに採用しないのが勿体ない人物でした。よって開戦から1年と経っていない1942年初頭から戦闘に参加しています。
 主な乗機はLa-5、Yak-1。
 1943年8月に戦死。

 残っている情報が特に少なかったり出鱈目だったり戦闘規模が小さかったりして記述は少ないのですが、冬戦争以外ではソ連英雄金星章を受賞するエースがそれぞれいたのは確かなようです。
 冬戦争では5機撃墜のエースすら無し!フィンランド完勝!お見事!

  • ノルマンディ・ニエマンの人びと

 フランス人義勇部隊。ノルマンディ・ニーメンと訳されることが多い。名はニエマン川(ニーメン川)渡河作戦支援で得た名誉。
 終戦後にはYak-3を駆ってシャンゼリゼ通りを凱旋飛行。これぞ英雄。
 そしてフランスはちゃんと資本主義陣営に残るのでした。

装備機種について

 各機種の登場タイミングや性能を考えると、1940年の冬戦争でのフィンランド空軍の活躍や、独ソ戦初期のドイツ軍の圧倒的戦闘力も、納得がしやすいです。
 1941年新世代トリオが登場する前に始まった性能も運用者も半端だった冬戦争。新型機は登場していたものの奇襲を受けるところから始まり相変わらず運用能力に欠けていた独ソ戦
 とはいえフィンランド継続戦争のころになるとソ連軍も相当にパワーアップしています。それでも高レートで戦果を稼ぎ続けるフィンランド軍はやはり上手いのか…(ソ連贔屓になった私はなかなか認めることができない)

  • I-15

 I-16よりも優れた上昇力や運動性を生かして、高速機のI-16が散らした敵機を格闘戦で仕留めることを意図していたとか。
 そんな机上の空論は実戦には通じないのでした…

  • I-153

 I-15を引き込み足にしました。究極の複葉戦闘機。それでも所詮は複葉よ…
 足は手回しクランクで引き込みます。気合だ!
 こんな機体でBf109FシリーズやFw190Aシリーズが普通に飛んでいた1942年後半のドイツ空軍と戦ってエースになった超人もいたそうです。一体どういう技術。

  • I-16

 西のBf109、東の零戦という例外的強豪とぶつかってしまった不幸な傑作機。
 零戦より先に配備されていた九七式戦の段階からしてやたら強いし…

  • Mig-3

 1941年登場の新世代トリオの一角。
 機首インテイク周りの鋭角的なデザインが素晴らしくかっこいい。
 ここでコクピットが後部にあったりするのだから、水冷レシプロエンジン機で可能なかっこいい要素を全て詰め込んだくらいに格好いいのではないでしょうか。(根拠薄弱)
 モデルが欲しくなる戦闘機です。
 最小の機体に最大のエンジンを搭載する方針はドイツのメッサーシュミットBf109で採用されているように定番の手法ですが、Mig-3ではコンパクトにまとまりすぎて安定性に欠け、ただ普通に飛行するのもかなり困難な機体に仕上がってしまったようです。
 写真や図面で他機種と見比べたところ、機体後方が明らかに詰まりすぎています。
 主翼から尾翼までの長さがイリューシンのI-16と同じ位でしかありません。伸びた全長は全てエンジンの分。
 750馬力・450km/h級の機体とほとんど同じスケールで1350馬力・640km/h級の性能を叩き出してしまうという過剰…


 スーパーエースたるアレクサーンドル・ポクルイーシキンはこの機体でさえ上手く使うことができていたようです。弘法筆を選ばず。

  • LaGG-3

 1941年登場の新世代トリオの一角。
 出力に対して木製機体重すぎ、舵重すぎ、工作精度悪すぎ。完成度といった言葉と無縁な仕上がり。それでもI-16などと比べれば高い性能だったので使用されていた微妙な水冷戦闘機。
 パイロットからは「LaGGは上製保証付棺桶の頭文字」とまで言われる始末。(この本ではスラングに関する細かいニュアンスまで拾っています)
 後期型は垂直尾翼にホーンバランスがついたり、主翼前縁スラットがついたりとあちこち改良されて(写真などから見てとれるのはこれが限度)完成度が大幅に向上したようですが詳細不明。


 エンジンを換装してLa-5に進化すると出力不足も解消。

  • La-5

 1942年後半にエンジンを空冷の強化型に変えた後期型LaGG-3…のはずが、失速特性を含めた運動性まで比較にならないほど相当に向上。何故なのかは不明。
 さらにエンジンを強化してF型、FN型と進化しました。途中でいつのまにかファストバックタイプのキャノピから半バブルタイプに変更されたりも。


 この機体を使用したエースには、NKVD(内務人民委員部)付属孤児院出身で10代のうちに空軍に入隊、大祖国戦争で22機の敵機を撃墜、後年航空元帥にまで昇進というソ連の申し子のような人がいました。

  • La-7

 1943年末にLa-5の空力デザインを一段リファイン。ここまでくるとLagg-3の原型は一体どれほど残っているのでしょうか。
 バランス+パワーの完成形。

  • Yak-1

 1941年登場の新世代トリオの一角。
 解説省略…ってこの革新的で重要な、唯一バランスのとれた木製機を省略してしまうんですね?
 著名な女性エースパイロット、リーリャ・リトヴャックの愛機。

  • Yak-3

 1943年登場のソ連空軍スタンダードといった風情のある名機。
 Yak-1とどれくらい違うのか気になるから一方の解説が欠けていると寂しい。
 フランス人義勇部隊「ノルマンディ・ニーメン」の人々も愛用。
 低空での速度と運動性に全てを賭けた職人戦闘機。


 Yak-1やYak-9よりずっと生産数が少なかったようです。これは私的に意外。モデルになるくらいにメジャーなソ連の大戦機といえばYak-3といった印象があったため。
 ハセガワ社の72分の1モデルの箱絵になっている機体は、「聖ゲオルギウスの龍退治」をモチーフにしたイラストがついている第1航空軍団第303戦闘飛行師団指令G・ザハーロフ少将機です。

  • Yak-9

 戦闘爆撃機化さえ前提として設計された1943年末登場のマルチロールファイター。Yak-3の3倍以上も生産されています。最も多く生産されたソ連戦闘機。でも何だかマイナー。
 武装は対戦闘機型の20mm×1+12mm×1か、対地攻撃型の37mmという両極端ぶりですが、相手になるドイツ軍は重爆撃機をほとんど持っていなかったのでこれで問題が無いのでした。


 ソ連機のスペックがエンジン出力の割にずいぶんと良いのは、相手が重爆撃機を持たないドイツ空軍で軽武装で済んでいるからではないかという気がしてきました。
 ソ連軍自身も、大陸国な上に重爆撃機を持たず長距離護衛任務は無いので燃料搭載量が抑えられ、木製機というハンデを幾らかカバーできていそうです。

 言わずとしれたレンドリースで大活躍機。火力と中高度での足の速さが特徴らしい。

 機体そのものの評判はふつう?英国から派遣されたパイロットや機体整備士とは特に固い友情で結ばれていたようです。
 生死を賭けて協力するかれらのエピソードと冷戦後に撮影された再会の集合写真は見ていてほっとできます。

 ほとんどがMk.IX。Bf109と間違われやすく危険で不評だったとか。
 「全然似てないのに何故間違うかなー?」という気がしましたが実際間違われたんだから仕方がない。


  • カラーリングについて

 機体側面いっぱいに、白で迷彩効果を損ないそうなほどにスローガンが書かれているのが特徴。
 40種類収録されているカラー側面図はそれぞれに書かれているスローガンの読みや、「殺されたヴァシカーとジョールのために復讐する」といった具合の凄みがあるフレーズの意図について解説がついていて分かりやすいです。

  • 整備技術について

11月なかごろ、極寒期が到来し、独空軍側基地はしばしば一時的作戦不能状態となってしまった。地上員たちが整備修理する機体の金属表面に触ると皮膚が氷結してしまい、工具類はブロートーチで暖めなければ使えなかった。液冷機のエンジンも猛烈な寒さで始動しない。この天気のためルフトヴァッフェの作戦行動はソ連空軍より低調となった。

 こんな状況で戦闘行動を続けられていたソ連空軍って一体何なのでしょうか。
 対凍結性能の高いエイリアン軍団?そんなわけはないのでどのような対策をしていたのか気になるところです。


 日本軍の戦車の一部は、中国大陸の極寒の中でも戦闘可能なように、暖気が済んだ車両と始動前の車両とで冷却系を連結融通し極寒時にも冷却水の凍結を防ぎ始動性を向上させていたという話を見たことがあるのですが、ソ連の航空機もその手の外部暖気システムを採用していたのでしょうか。
 過冷却を防ぐためか、空冷戦闘機のカウリングとスピナの隙間が極端に狭かったり(夏はどうしていたのだろう?)、シャッタがついている機体が多いという点は見て取ることができます。


戦術について

 ドイツ突然の奇襲「バルバロッサ作戦」により始まったソ連存亡をかけた「大祖国戦争
 開戦直後に撮影された写真には、愛機に乗り込もうとして、あるいは出撃準備整備をしているところで攻撃を受けて死亡した不幸な人びと、そしてそれをただじっと見るしかない人びとの姿が多数残されています。


 準備が整っていない状態で始まった独ソ戦初期は戦闘飛行ができる人間がひどく不足していたため、「タラーン」と呼ばれる体当たりが奨励されるという無謀さ。*2もっとも、体当たりは体当たりでそれほど簡単ではないという気もするのですが…


 実戦機への完熟訓練は10時間も受けていればいい方で、大半の搭乗員は1、2時間なんていう冗談みたいに短い時間しか訓練をしていない状態で実戦に放り込まれる有様でした。
 ソ連第二次世界大戦大祖国戦争」の魅力は、初めにいわゆる「末期戦的状況」があり、そこから戦勝まで巻き返すところかもしれません。


 出鱈目な戦況の中でも上手くエースとして生き残れたアレクサーンドル・ポクルイーシキンらが1942年から編み出し始めた戦術は、彼らの巡回指導により各方面へと伝達され、ソ連空軍のソフトウェアは猛然とアップデートされていくのでした。


 以下実例。ネーミングは異国情緒たっぷり。

  • ソコーリヌイ・ウダール

 「鷹の一撃」の意。
 高々度からの垂直降下一撃離脱戦術。
 単なる一撃離脱ではなく、高々度+垂直という徹底化。

  • エタジェールカ・フォーメーション

 「重ね棚編隊」の意。
 垂直位置と水平位置を共にずらし編隊を組み、それをひたすら一定に保つ。
 列機は「一定位置を保つ」といった簡単な命令にさえ従っていれば良い。
 敵機を見つけた場合でも、攻撃を仕掛けるのはそれをしないと致命的な損失を被ることが確実な場合か、編隊長の指示があった場合のみ。
 この戦術を強く打ち出している出撃の場合、敵機を完全に先に発見しているにもかかわらず「味方攻撃機隊や戦闘機隊に対して今すぐ有害ではない」と判断してあえて無視をする状況さえいくつか見られます。
 新人には無理に稼がせず、エースについていかせてトレスさせることで慣らしていくシステム。これは仮に自分が新人パイロットだった場合とても安心できて助かる便利システムと感じました。


 これに限らずソ連空軍の戦術は「あまり考えなくても上手い人の動きをトレスしているうちに戦果があがる」という要素が強いです。
 上級者一人の指導力で戦闘力がほぼ完全に決まってしまうという点では脆弱性に問題があるかもしれませんが、未熟な人間に無理に自主性を発揮してもらって戦死といった取り返しのつかないミスをされるよりはこちらのほうが良いでしょう。オリジナルを出すのは型を作ってからという思考の徹底。

  • ノージニツィー

 「鋏」の意。
 編隊を組むペア同士が接近、すれ違い、散開と繰り返し鎖を描くように飛ぶ。
 視界と速度両方を確保したまま攻撃機隊を護衛するテクニック。
 垂直面攻撃に対する脆弱性が気になりますが、終始機動しているので第一撃の回避率は相当に高そうです。


 ドイツの東部戦線スーパーエースが持っていることの多い特徴に「射撃精度の高さ」がありますが、この手の機動をしている相手をそのまま仕留められるか否かで差が出ているのではないかと予測します。

  • カチェーリ

 「ブランコ」の意。
 編隊全部を一纏めにして振り子状にジグザグに飛ぶ大火力戦術。
 攻撃機隊の進路上にいる敵を完全に掃除しておくためのテクニック。


 「ソ連機は大勢で来る」というイメージがありますが、このように複数の編隊を緊密に密集させて運用していたのでそう見えやすかったのではないかな?という気がしてきました。


 以上のように運用が簡単なシステムを採用していたためか、アレクサーンドル・ポクルイーシキンのような特に指揮能力に優れるエースの場合、6機ほどなら完全に自分の制御化に置くことができていたようです。
 ガンダムシリーズに出てくる一人で多数のビットやファンネルを操るニュータイプパイロットを彷彿とさせる動き方。

 『ドイツ空軍戦場写真集 ルフトヴァッフェの興亡』でも描かれた、1943年のスターリングラード包囲防衛戦を支援するドイツ空軍大空輸作戦が、今度は阻止側のソ連から描かれます。


 Ju52で編成された輸送機部隊は本当にもろかったらしく、戦闘機隊が片端から狩っていくだけでは終わらず、地上攻撃機のはずのIl-2シュトルモヴィークまで対空戦闘に出撃、ドイツ空軍作戦参加機の過半数を撃破したと算定されるほどの戦果達成に成功。


編成について

 ロシア語をラテン文字に転写したものの頭文字から略称が作られていて、日本語と英語にしか馴染みがない人間には大小関係などが若干分かりにくいので、ここ載せておきます。
 何故なのか理由はまるで分かりませんが、スケールごとに男性名詞だったり女性名詞だったり中性名詞だったりします。
 ロシア語・キリル文字表記は読むのも入力するのも難しいので省略。(本のほうにはきちんと載っています)

  • VVS (Voenno Vozdushnye Sily) ソ連空軍
    • VA (Vozdushnaya Armiya) 航空軍
      • IAK (Istrebitel'nyi Avia Korpus) 戦闘航空軍団
        • IAD (Istrebitel'naya Avia Diviziya) 戦闘飛行師団
          • IAP (Istrebitel'nyi Avia Polk) 戦闘機連隊
  • IA PVO (Istrebitel'naya Aviastsiya Protivovozdushnaya Oborona) 防空戦闘航空団


 頭に Gv (Gvardiya) が付く部隊は親衛部隊名誉称号受賞隊。
 所属将校は階級が親衛~に変更。(例:親衛少尉)
 兵も含めた皆が軍服に親衛記章を装着。
 以下編成例。

  • Gv.IAK
    • Gv.IAD
      • Gv.IAP

ロシア本国の資料が欲しいなら?

  • 『アエロプラン』(ヒコーキ)
  • 『アヴィアツィア・コスモナフティカ』(空と宇宙の旅)
  • 『クリーリャ・ロディヌイ』(我国の翼)

 以上の刊行物にはしばしば詳細な回想録が掲載されているそうです。ナウカ社などで注文すると手に入れることができそう。

*1:それでも飛行時間は「100時間を超える程度」でしかありません…現代人の私の感覚では、飛行時間が100時間程度でしかない教官から命がかかる航空機操縦法を習いたくはありません。たかが自動車でさえ30時間と練習するように定められている時代の人間ですから。

*2:ということはバルバロッサ作戦前の対フィンランド冬戦争時も体当たりするしかない程度の技量でしかなかったはず。