放課後は 第二螺旋階段で

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シンシナティ・キッド

シンシナティ・キッド [DVD]
 シンシナティ・キッド。ザ・ギャンブラー。ポーカーにて無敗。若き獅子たる彼の前には敵無し。
 街の子供とのコイン裏表当てでさえ無敗。毎回「もっと腕を磨いて来な」と返す的中率。


 向かうところ敵無しのキッドはギャンブル界の帝王、老ランシーに対して挑戦を挑む。


 決戦に集うランシーそして彼の顔見知りのエースギャンブラーたち。キッドは一切怖じ気づくことなどなく、それどころか勝負で仕留める瞬間を心待ちにしているかのような不敵さを見せる。


 数日に渡るゲームの中、ある者は敗れ、ある者は自ら身を引く。
 キッドとランシー、2人に絞られた勝負の結末はいかに。


 1940年代のアメリカ・ニューオリンズをモチーフにしたくすんだ色遣いの世界にカードの赤いハートとダイヤが栄える。
 


 この作品は、おそろしい長さの理屈で偶然の世界の中に必然を積み上げる『マルドゥック・スクランブル』や、ゲーム外世界の厳しさを積極的に取り込むことで異常な緊張感を持つようになった『カイジ』などに馴染んだ時代の人間には物足りないかもしれません。


 若きエースギャンブラーたるキッドを描くにあたって、恋人関係のパートなどは完全に削除できたのではないかと思います。ナニモノなのか全く説明がなく、ただ単に「ギャンブルにおいて鬼神のごとき強さと執着心を発揮する若者」で十分に凄みと勝負に対して純化された性格が表現できたのでは…


 ライバルにあたる帝王ランシーのほうは人物背景描写が一段簡単なものですし、ランシーとの勝負に集まるエースギャンブラー仲間たちの持つ背景はほんの少しほのめかされる程度でしたが、それでも勝負に挑む心境は十分に感じられたので、他の人物もそれくらいで統一できそうに思えます。


 このあたりの感想は、私が作品が始まるより前の世界を省略するのに慣れている現代の日本人だから出てきたものかもしれません。以前アメリカのアニメファンが「日本のアニメの主人公は何故孤児が多いのですか?」という質問をしているのを見たことがありますが、「孤児」というキャラクター属性が持つ「作品が始まるより前の世界を省略できる」という特性を使おうとするか「何故か孤児になった」という特性のほうに注目するのかという感性の違いがあるということです。


 人物の描写は、決戦をフルハウスごときで迎えて勝てると思う堅実な甘さと若さと、ごくまれなストレートフラッシュを狙える老獪さという「カードの役」によって完成され、それが非常に美しい手法に思えたので、カードの役が持つ意味を信頼しその一点に全てがかかるようにして欲しいという願いからこのような感想になりました。


 吹き替え音声は往年の名声優大集合と思われる演技で皆非常にキャラが立っているので吹き替え視聴を特に推奨したくなる作品です。古くて音が残っていない部分があるせいか一部英語に戻りますが…
 ラストの少年の台詞に吹き替え音声が無いのは特別にもったいない要素。
 「もっと腕を磨いて来な」
 コイン裏表当てで初めて勝った少年はキッドにいつもの台詞を返し、昔のキッドの自信は今の全てを失ったキッドに返ってきて突き刺さる。


 チャンピオンのランシーはキッドとの勝負で負けても今までの仲間や経歴が残るけれど、キッドには今の勝利一点しかない。だからこそキッドは徹底的にうち砕かれる。
 レイ・チャールズの歌が虚無感をさらに倍加し上乗せする。


 しかし、この物語は恋人という「何か」が最後に残ってしまったせいで鋭さにぶれが出てしまっています。


 シンシナティ・キッド役のスティーブ・マックィーンは日本人ではまず到達不可能な三枚目要素のない完璧な二枚目の男。かれが写っている映画ポスターが人気になる理由が分かります。