放課後は 第二螺旋階段で

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「忘れられた軍用機 知られざる第二次大戦傑作機」 大内建二

忘れられた軍用機―知られざる第二次大戦傑作機 (光人社NF文庫)

Amazon.co.jp: 忘れられた軍用機―知られざる第二次大戦傑作機 (光人社NF文庫)

 タイトルには傑作機と書かれていますが、内容は世界の駄っ作機を濃さ半分にして量を3倍にした感覚。
 駄作というほどでもないけれど傑作とは呼べない中途半端な性能の機体や、弱小国開発のマイナー機を中心に、実用化された機体のみを網羅的に多数収録。


 この種の網羅本は1つおさえておくと関心の幅が広がりやすいのが良い。
 「何故この会社はこのような機体を出すに到ったのか?」「何故ルーマニアやオーストラリアは大した性能が出ないと分かり切っている状況で独自戦闘機の開発を決定したのか?」このような思考にとりかかる起点に丁度良い。


 データ的な内容とは無関係ですが、文体は佐貫亦男の名エッセイシリーズ「飛べヒコーキ」「ヒコーキの心」の影響がかなり出ていて、あまりにも似すぎていて奇妙な感覚。



 以下長すぎる私的記録と感想。

アメリカの輸出用戦闘機群

 ビジネスライクな視点が最優先の国家なためか、あるいは孤立主義で原則不介入の立場でいたからか、アメリカは二線級戦闘機を友好国に多数輸出。
 他国では自国で使う兵器でさえ量不足に苦労しがちな時代だったのに随分と余裕がある。*1
 オランダ領インドネシアで使われたカーチス・CW21デーモン。
 スウェーデンが購入予定となっていたところでレンドリース法が成立し戦争当事国に含まれなかったため輸出不能となり、中国のほうで使われたヴァルティー・P66ヴァンガード
 イギリスとソビエトを救ったアメリカの「レンドリース法」には「指定国以外への武器輸出禁止」の要素も有り。

第二次世界大戦で最後に戦死者を出したコンベア・B-32ドミネーターは新型機なのか?

 番号はB-29スーパーフォートレスより大きいけれど実態はB-29開発失敗時の保険。
 B-29の信頼性においてネックになっていたライトR-3350デュプレックスサイクロンエンジンを同じように4基装備しているので、この保険の効果はほとんど無に近かったのでは…


 坂井三郎の戦記などで終戦の日よりも後になって大打撃を受けていたB-32は、保守を簡単にするために排気タービンを取り外し、爆撃後戦果確認偵察飛行に出撃していた機体の模様。
 新型の割に随分簡単に被害を出していると思っていたら簡易型。B-29が成功したため生産は極少数で終了。その稀少さで価値を見誤る。 大戦末期に撮影された「爆撃によって破壊された日本の都市」の写真のうち相当数はB-32によるもの。撮影者は写真に写らない。


 B-32ドミネーター(征服者)は終戦後まもなく退役し、そのとき戦後にふさわしいターミネーター(終わらせる者)に改名。

中島・百式爆撃機呑竜はマイナーなのか?

 機体知名度の割に任務のほうはよく分からない機体。


 双発のエンジンと胴体の間だけ翼前縁が前に張り出して翼面積を稼いでいたり、エルロンが蝶型フラップ風に翼のラインからはみ出てたりしている泥縄っぽいデザインは何故この形を選んだのか…
 アメリカ軍の対地攻撃による破壊や散発的出撃で地味に消耗して終了。

マイナー名機(ただし調子が良ければ)ウエストランド・ホワールウインド!

 1938年初飛行で1940年量産開始なのにロールスロイス・ペリグリンエンジン960馬力×2=1920馬力!
 パワーウェイトレシオはホーカー・ハリケーンの3.36kg/HPに対して2.31kg/HP!
 「夕撃旅団・改」によるリストを参考にすると、加速力で勝てるのは雷電・疾風・鍾馗くらいしかなく、ずっと後に配備されたP-51Dや計3140馬力の双発戦闘機P-38Jすら上回る!
 http://majo44.sakura.ne.jp/planes/test/11.html

 しかも武装は20mm×4の機首集中!
 思わずエクスクラメーションマークをつけてしまう「真の知られざる傑作機」


 以前から端正な見た目が好きだったのですが、双発戦闘機の大半が駄作になってしまった時期の生まれというのもあり、性能の方はさっぱりと思っていました。
 この機体は、大型でより強力なロールスロイス・マーリンエンジン二機搭載を前提に設計されていたら…と考えてしまいます。
 大きく重くなりすぎるので量産も設計も困難になるでしょうが、なんとか突破したらオーパーツ的モンスターが誕生したのではないか、と。
 小さなペリグリンエンジン特有の好不調に関する問題も排除できますし。


 ペリグリンエンジンの調子が安定しないのと空対空戦闘でのもろさが原因で(これほど高出力でも?)、ホーカー・タイフーン完成後は交代するように退役。
 ロールスロイスグリフォンでさえ敵わない2400馬力という巨大な出力を叩き出したネピア・セイバーを搭載したタイフーンがなければ入れ替えられなかったと見ると、当時それなりに評価を得ていたように思えます。

空中で生活できる空技廠・九九式中型飛行艇 / レシプロ時代の哨戒手法が分からない

 九七式大型飛行艇二式大型飛行艇の間に挟まって半端になったマイナー機。双発。
 三菱・震天二一型1200馬力エンジンと共に生産終了。
 26時間もの連続飛行が可能。
 日の出と共に出撃して哨戒飛行、機内で食事、機内で休憩、仮眠も取って、日が沈み、日が昇り、目が覚めて、再び哨戒開始して、それでもまだ空の上にいられるくらいの時間。
 それでも乗員はたった6人。

 

  1. 機長操縦手
  2. 副操縦+航法手
  3. 機関手
  4. 無線手
  5. 偵察+爆撃手
  6. 副偵察手

 疲労を軽く見て交代要員を限界まで削ればこれで編成可能かもしれない?
 この時代の水上哨戒艇は、視界が悪く敵発見も困難で着水する水面の様子も分かりにくい夜間も飛行運用され続けていたのでしょうか?


 自動化や夜間行動力が第二次世界大戦頃とは比較にならないほど向上している現代の哨戒機P-3Cオライオンや飛行艇US-2などは、いずれも20時間は下回る任務時間ながら倍近い11人以上が搭乗。


 空技廠系の機体は「理論上はその性能が出せるけれど実際は継続が不可能」というものが多い印象あり。


フィーゼラー・Fi156シュトルヒそっくりの日本航空工業・三式指揮連絡機は何故三式になる年に登場したのか

 Fi156とほぼ同じデザイン(設計論理)の三式指揮連絡機は1940年に開発開始し1943年(皇紀2603年)に採用。
 Fi156の開発開始は1935年。運用開始は1937年。
 ずっと中国大陸で戦っていた日本陸軍なのに、何故5年以上も遅れて?


 採用されたころには、日本陸上部隊の活動範囲内にこの種の低速機が動き回れるような空はもはや無し。


 陸軍空母(いまの強襲揚陸艦に近い)に搭載しての対潜哨戒・輸送護衛任務に使う予定はあった模様。海軍からの護衛力割り当てが足りないから陸軍が自分で船を持つという極度の縦割り前提編成。


ピアッジオ・P.108四発爆撃機 / 戦略爆撃の発案者ジュリオ・ドゥーエの出身国イタリアの四発爆撃機総生産数は24

 イタリアが生産した四発爆撃機はP.108一種類24機のみ。
 ドゥーエの戦略爆撃理論が信じられていなかったのか、それとも単純に生産能力が無かったのか。
 イタリアのみ三発爆撃機を多用していたので、それでほとんど十分と判断していたのでしょうか。
 他機種の装備数をもとに予測すると生産力が一番の問題になった可能性が高そうです。それにしても少なすぎる。


 第二次世界大戦において、ドイツ・ダイムラーベンツ・DB601エンジンのライセンスを買ってあまり大きな問題のないまま生産できていたイタリアが、大量に不良品を出していた日本より圧倒的少数の航空機しか生産できていなかったのは不思議。
 開戦前段階での工業全体の兵器生産特化レベルに相当な差があり、開戦から終戦までの年月が異なっている分でさらに兵器生産特化レベルに差がついたのか。

コモンウェルス・ブーメラン / オーストラリアの国産戦闘機

 マイナー機の中では比較的有名かもしれない?
 日本軍に間近まで攻め込まれたオーストラリアは、イギリスやアメリカからの補給が途絶えることを想定し、AT-6テキサン練習機を単座にしエンジンはプラット・アンド・ホイットニーのR-1830ツインワスプ1200馬力に交換して国産戦闘機を製造。
 500km/hも越えられない速度性能ながら、運動性は良好。
 補給が途絶えるようなことは結局無かったため、戦闘機としてはほとんど使われず。
 一機も撃墜せず、一機も撃墜されなかった戦闘機。

IAR80 / ルーマニアの国産戦闘機

 大戦前半はソ連に奪われた失地回復のため枢軸国として、末期はソ連に逆侵攻されドイツからも攻撃を受け政変のち連合国として戦ったルーマニアの国産機。
 ポーランド・P.Z.L.P24戦闘機の主翼や胴体の一部を流用して設計された機体と、ライセンス生産のフランス・ノーム・ローンK14空冷940馬力エンジンの組み合わせ。
 直線ばかりの機体ラインとマルコムフード風に丸く膨らんだ形のキャノピは、生産の簡易化をはかりつつも戦訓データを反映している戦時量産型といった雰囲気。


 マイナー機ながらも、1943年にはルーマニア・プロエスチ油田に低空進攻を仕掛けてきたB-24部隊に対しドイツ軍機と共に大打撃を加えています。

アウトソーシングスウェーデン

 航空機開発で最もネックになりやすいのは大出力エンジンの開発。
 中立国スウェーデンは両方の陣営から自由にライセンスを買える状況を生かして、連合国アメリカからR-1830ツインワスプ、枢軸国ドイツからDB605の技術を導入。
 小さい労力で悪くはない性能の機体を仕上げる。


 FFVS・J22戦闘機にR-1830ツインワスプ。
 SAAB18攻撃機にはDB605B。


 ジェット時代もエンジンは無理に自国開発せず、ライセンス品もしくはその改造品を使用。

イェルモライエフ Yer-2 / 今はもうない

 Er-2という表記のほうがメジャーらしい?
 これがこの本で最も奇妙な航空機です。
 逆ガル双発、折れ曲がり部分にエンジンナセルと足。
 エンジンはチェロムスキ・Ach30水冷ディーゼル1500馬力。
 奇妙な取り合わせながら性能は一流。


 英WikiPediaで図面が見られます。
 Yermolayev Yer-2 - Wikipedia


 イェルモライエフ設計局は1944年にスホーイ設計局に吸収されたようです。

フォッケウルフFw189のプロペラピッチ可変原理について再び

 2005年11月から引きずっていた疑問が一段落。
 このプロペラは「ピッチ2段階切り替え+定速回転(固定ピッチの二種類選択ではない)」「動力源が風力で簡単にオンオフできない」「フルフェザー可能」といった点が非常に難解でした。
 フォッケウルフFw189のプロペラピッチ可変機構は風動力+人知能制御(2段階選択・ただし実際に出力される角度は不特定)と自分の中で決着。


 以下にその原理の推定をメモしましたが、誤りが見つかったため取り消します。
 以前の解説で「ピッチ可変動力系統が2つある」との旨書かれていたのを見落として書きました。

 調速機は低速加速用(高回転設定)と高速巡航用(低回転設定)の二種類を装備。


 仮に速度が上がりプロペラピッチを高速巡航側に調節(ピッチ上げ・回転速度減少)したくなったとすると

  1. パイロットはプロペラピッチ上げ操作を入力
  2. 高速巡航側調速機の締め固定が解除され動作開始
  3. クラッチが動作し風車軸に傘歯車で接続されているプロペラピッチ変更軸の回転力がピッチ変更機構と接続
  4. プロペラピッチ変更機構への動力入力開始
  5. ピッチ上げによりプロペラ回転数が指定回転数まで落ちると調速機が自動的にピッチ変更動力切断側へ操作
  6. ピッチ可変力の入力が自動的に切断される
  7. プロペラピッチ変更終了


 仮に速度が下がりプロペラピッチを低速加速側に調節(ピッチ下げ・回転数増加)したくなったとすると

  1. パイロットはプロペラピッチ下げ操作を入力
  2. 高速巡航側調速機が強制的に締め固定され無効化
  3. 低速加速側調速機の指定する回転数に上がるまでプロペラピッチ変更機構へ風車の回転力入力
  4. ピッチ下げにより低速飛行側調速機の指定回転数まで回転数が増加すると調速機が自動的にピッチ変更動力切断操作
  5. プロペラピッチ変更終了


 この理屈で、2段階切り替えという簡単な操作で速度に応じた細かい制御が可能となるはず。
 ややこしすぎて自分でも意味を取りにくい文になっているけれど…


 低速高速両方の調速機を固定無効化すると、フルフェザーになるまで止まらずにピッチが連続変化。この機構が存在することは確実ただしフェザリング位置できちんと停止させられる原理は不明…


 急激な速度変化には追従できなさそうですが、任務は低空での偵察観測なのでその点に関しては全く問題がない。(急降下するための高度がない)



 この方式はプロペラピッチを戻し忘れて着陸してしまうと、再離陸時は風力が得られずピッチ角変更動力が無いため非常に面倒な事態に陥ったのでは。

*1:兵器不足が特に顕著な印象のある日本もタイ向けにトンブリ海防戦艦2隻を建造してますが