放課後は 第二螺旋階段で

「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」 筆者の気の向くままに書き連ねるクラシックスタイルのblogです。ネタバレへの配慮等も基本的にありません。

無知の知の上に立つ「メノン 徳について」 プラトン 訳:渡辺邦夫

メノン−徳について (光文社古典新訳文庫)
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Kindle メノン〜徳(アレテー)について〜 (光文社古典新訳文庫)

それで、何か或るものが何であるかを知らない人間でありながら、そのわたしがその或るものがいかなるものであるかを、どうして知ることができるというのかね?それともきみには、メノンとは何者であるかをまったく知らない人が、メノンは美しいか金持ちか、それに加えて高貴な身分か、あるいはその逆かということを知ることができると思えるだろうか?きみはできると思うのかね。

 一見非の打ち所のない聡明な美少年メノンが発した問い「徳は教えられるか?」は、「徳とは何か?」「徳とは何なのか知ることは可能なのか?」「徳を知っている者は一体誰なのか?」「徳を知っているとはどういう状態なのか?」「徳とは何かを知らないまま教えられるのか?」と、論理的に深められる。

 何を知らないのかを知る「無知の知」スタンスにより論理の基盤を固めた結果である。

 岩波文庫プラトン本よりも庶民的*1でノリが良く読みやすい文体になったこの一冊で「確かさ」という概念そのものの強度が高められる。

 エピステーメー、フロネーシス、ヌースといった古代ギリシャ哲学概念は現代型思考システムと若干離れているため哲学より論理トレーニング色が強いが、現代に残る思想は全てプラトンの系統の上にあるため理解は有用であろう。

とりあえずの論理的結論は……

 徳は教えられない。徳の教師も存在しない。そのため徳は知識ではない。徳は結果的に正しい行為に導くものである。正しい行為を導くのは、知識か、正しい考えである。ゆえに徳は正しい考えである。

 例えるならば、ある目的地へ行く道を知らなくとも、どこを通れば良いのか考えて分かるのなら、それは知っているのと同じように外部から観測される。

世界史の授業的読み方

 有名な「想起説」はこの本に登場。数学的理論の「確かさ」を身分や教育レベルと無関係に誰でも差異無く感じられる理由として使われている。

 魂は転生の中で冥界をも見ているため無限の知識を持っているが、それを縛り付ける力を持たない。後天的技術により知識を固定することにより思い出し「理解」するという。

読書前に

 この本は用語メモを制作しながら読むことを勧める。
 無知の知、すなわち自分が何を知らないのか、何を知っているのか、それらを見極めなければ論理の基盤が確定されないからだ。言葉の定義が不安定なままでは上に新たな概念を精密に積み重ねるのは不可能である。

 この本の論理術を武器にこの本を読み解け。

私的ギリシャ哲学用語ノート

  • アレテー

 徳。良さというソレそのもの。

 知識。学問的知。

  • フロネーシス

 思慮深さ。知。智。徳(アレテー)の指向性を決定する。

  • ヌース

 知性、理性。知的思考。
 フロネーシスとの使い分けが難しいのだが……
 直感寄り・偶然性含みの場合こちらになるようだ。ドクサという言葉を上手く理解しておく必要がありそうだ。

 ヌースに対応する。思考する、世界に対する気づき。
 余談だがTVアニメのタイトルにもなった。

  • ドクサ

 思い。(単体では表出しないもの)

この後に読むと良い関連本ノート

  • クセノフォン『アナバシス―敵中横断6000キロ』

 『メノン―徳について』から1年後の歴史上のメノンが戦記の一登場人物として描かれる。
アナバシス―敵中横断6000キロ (岩波文庫)

 メノン君はソフィストから教育を受けたが、その思考システムは根幹部に欠陥を抱えていた。そのソフィストの筆頭ゴルギアスプラトンの師匠ソクラテスが直接会う。
ゴルギアス (岩波文庫)

*1:現代日本人の一般的倫理観に近い解釈の優先順位が高く、神学的な究極のものを目指す志向が薄い印象。