放課後は 第二螺旋階段で

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天地人を備えた才能の力 「ベルニーニ バロック美術の巨星」 石鍋真澄

 バロック美術を代表する天才彫刻家、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。80年以上にもなる生涯にわたって一線の力をもって作品を製作。劇場空間を作り上げる無限の発想力。それを実現する神懸かり的な技巧。有力な工房を作り上げ教皇の後押しを受ける人徳。すべてを兼ね備えた芸術家である。彼を活写することにより、反宗教改革期のローマ・カトリック世界までも俯瞰する。天才ベルニーニが力を存分にふるった結果生まれた作品群がローマにもたらしたものは、都市にとって第二の誕生とさえ言えるであろう。

 ただ卓越した芸術家では一生涯に一つしか生み出せず、しかしそれをもって美術史に名を残せる程の傑作を多数量産した者の全記録であるため、素晴らしい密度の一冊となっている。日本語のベルニーニ研究書としてはこれがおそらく空前絶後のものである。

 日本においてはミケランジェロと比してやや知名度が低いベルニーニであるが、ローマ・バチカンの旅に出る方は事前にこれを読んで予習することを強く推薦する。

 素晴らしい本である。

箇条書き高密度化読書ノート

  • 私がベルニーニの名を知ったのはTVで見た「アポロンとダフネ」(表紙作品)のすさまじき技巧、そしてそれを最大化する空間設計法の素晴らしさからである。その後に見た「プロセルピナの略奪」の神業により感動は決定的なものとなった。
  • 「時間と空間の演出」がベルニーニ芸術の最も特徴的な点である。たとえば若年期の傑作「アポロンとダフネ」であれば、部屋の入り口から伸びやかな後ろ姿を見て、そこから中へと進み、彫刻の正面側へと移動するにつれ植物化してしまう悲劇の全貌と瞬間が明らかとなる。あたかも映画のように展開するのである。制作時に意図されていた配置は壁付けに近いもので見る方向が限定されているためにこのような表現が可能となっている。つまり、今美術館に置かれている作品群は真の力を発揮しきれていないのである。
    • これはマニエリスム期の彫刻が持っていたねじれによる全方位性を捨てることにより可能となった作風である。この「単一方向性」はルネサンス的でむしろ古典に類する発想法。
  • 建築物であるサン・ピエトロ広場では、歩みを進めるにつれ回廊により自然と視界は遮られ、その後に解放される緩急、そして視界内の建築物と彫像の演出により神の力を表現している。
  • ベルニーニは最も優れた肖像彫刻家でもあった。白い大理石は現実の人間と異なり全く色彩が無いため、ある程度の「デフォルメ」がなければその人らしく見えないという。
    • カリカチュアも得意としていた。現実をキャラクター的にまとめて表現する達人である。
      • 肖像彫刻を製作する際には、その対象となった人物と数日行動を共にすることにより動き(すなわち時間と空間)の癖までもを取り込んでいた。
    • このような表現はルネサンス的な「自然さ」よりも、見た者による「効果」を意識したものである。微妙な表情のみならず、人工的につけた衣のなびきなども利用して人格を劇的に表現する。
  • ある人物を表現する際の基本として、足は長めに、肩は男では広めに女では狭めに、足は小さめにし、常に何らかのコントラポストがあるという見方は、趣味でキャラクターイラストを描くにしても使える見方であろう。
  • ベルニーニは舞台芸術も得意としていた。これもまた時間と空間を利用する表現のひとつである。性質上現存しているものはない。
  • 大芸術家はただ個人の才能だけでは傑作をものにすることはできない。ベルニーニの場合、教皇ウルバヌス8世の全面的といえる後押しにより、多数の大規模プロジェクトの経験と実績を残すことが可能となった。しかもこの教皇は、独裁的な統治手法をとり教会の有力者を身内で固めていたため、特に圧倒的な力を持っていたのである。この本でははっきりとしたことは分からないが、教皇庁があまりにも多数の巨大プロジェクトを実行したせいか、深刻な財政危機に陥ってしまったようである。しかし偉大な芸術の前にはそんなことでさえも些細なことなのだ。
  • 教皇ウルバヌス8世亡き後も、倹約家のインノケンティウス10世時代の冷遇が終われば、その頃にはベルニーニの薫陶を受けていない若い彫刻家はいなくなっており、ローマ芸術界のリーダーとして存在する状態に。若手育成がこれほどまでに上手く、さらにその成果が自身に帰ってきた作家もまれであろう。
    • 教皇は性質上高齢なので早ければ数年で帰天して交代となり、世論も自然と変化するのである。

余談・バロック美術といま

  • 緻密な描写と異常な変形による躍動する瞬間表現の最大化に馴染んでいる作画系アニメファンなら、この彫刻家との相性が特に良いであろうと考える。(少なくとも私はその回路により理解が促進された)
    • 私は戸田聡原型のフィギュアの造形を好む。この感覚は造形の全方位性をある程度放棄して瞬間の表現を指向するバロック美術手法をキャラクターに対して運用しているようなものであろうと考えている。

関連エントリ

 バロック美術全体の出現経緯を少ないページ数で手早く紹介。終盤に代表例として詳細な解説が入るテッツィアーノは個人的にはそんなに傑出した作家だとは思わない‥‥