放課後は 第二螺旋階段で

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カトリックのメディアパワー 「バロック美術の成立」 宮下規久朗

バロック美術の成立 (世界史リブレット)
バロック美術の成立 (世界史リブレット)

西洋美術の頂点を示すバロック美術。
それは燃え上がるようなキリスト教信仰が生み出した最後の輝きであった。
理性ではとらえきれない幻視をいかにリアルに現前させるか。
現実的なイリュージョンにいかに神秘的な聖性を付与させるか。
こうした矛盾が止揚され、壮麗で幻惑的な芸術が大々的に追求されたのである。
血みどろの殉教、劇的な回心、恍惚とした法悦といった主題的流行と並行させつつ、
バロック美術の生成から終焉にいたる過程を説き明かす、
単なる概説を超えた画期的な書である。

 カバー袖部の解説が熱を持った名文なので引用。

 本書はバロック美術の誕生から終焉までをわずか90ページほどで俯瞰するきわめて高密度な一冊である。必然的に固有名詞の新出頻度が高く、読み通すのはなかなか厳しいものがある。コツコツと読み進めると美術史の実力が付く教科書や参考書感覚の構成である。

 同じバロック美術を扱う石鍋真澄「ベルニーニ バロック美術の巨星」と比べると一段も二段も硬い。「ベルニーニ」は美学側から、こちらの本は芸術史側から掘り下げる感覚である。世界史教科書の定番山川出版社が出している世界史リブレットの一環なので必然であろうか。

 バロック芸術とは。それは反宗教改革の頃に出現し、瞬間を描く力を研ぎ澄ませ、見る者を作品世界に引き込み、神そしてカトリックの力を追体験させるメディア。

 代表されるのは二人の作家。カラヴァッジオ、ベルニーニ。

 彼らが出現する礎は、聖会話図、二重空間の構図。鏡を使ったベラスケス「ラス・メニーナス」の理解も副次的に進められる。

 法悦という個人体験を再現するために描かれるバロック芸術は、本という一人で読む媒体と相性が良いのかもしれない。



 以下内容のノート。

宗教改革前までの美術・ルネサンスが終わるまで

  • イコンと偶像崇拝の禁止という矛盾する二つの要素は、イコンを崇拝しているのではなくイコンに写された神への崇拝、神への窓であるとして解決されていた。ドイツ、すなわちプロテスタント発祥の地出身のライプニッツが提唱した「モナド」と「窓」の関係(モナドは窓を持たない)はこの辺りから着想を得たのだろうか?
    • 「仏像はそれそのものが信仰の対象になる偶像で、像には魂が入っている」という。
  • 遠近法と明暗法の技術が進歩し自然な絵が描けるようになった結果、ルネサンス期の絵画はイコンからナラティヴ、つまり歴史物語としてのキリスト教となった。まずはあらゆる時代の聖人が一堂に会する聖会話図が現れた。
    • 聖会話図が定着した後、聖母やキリストを幻視する事件が増加した。これがキリストや聖母が現代人の前に現れる同時代的な幻視画として新たな絵画表現になった。
      • 題材として自由度が高すぎたのか、ここから非常に複雑化してマニエリスム期に入った。

マニエリスムの終わり・バロックの始まり

 免罪符を売るような堕落した教会の権威を脅かす宗教改革の始まり。カトリックは対抗のために手を尽くす。トリエント公会議で内部改革が行われ、権威維持のためのドクトリンが定められる。

 バロック芸術とは、プロテスタントとの宗教的対立を勝ち抜くために開発されたメディア兵器のようなものである。二度の世界大戦で航空機の性能が一気に引き上げられた時のような長足の進歩が芸術に対して起こった。

  • バロック絵画の構図は展示位置と相乗効果がある。鑑賞者が作中世界の一部となるように製作されていた。
    • バロック絵画の源流のひとつであるティツィアーノ「ペーザロの祭壇画」*1の場合、消失点を左に置き聖母子は画面右上方に配し、教会の左壁に置かれた時に最大限の効果を発揮する。絵の中でひざまずく人にちょうどなりきるようなイメージである。そこで正面にあったのは見上げる構図の「聖母被昇天」であった。
  • 「無原罪の御宿り」をテーマとした絵画が多数描かれたのは、プロテスタントが特に強く反対していた要素のため。エル・グレコ、ベラスケス、ムリリョの作品が有名か。
  • 宗教改革期より前のカトリック教会は権威保持に対して神経質だった。現代の感覚で見ればキリスト教的に敬虔に思えるような者でも、教会を通さずして啓示を得る行為は異端として裁かれる対象なのである。
    • 宗教改革期になると信仰の熱心さが聖人の幻視へとつながるという神秘主義的思想が主流となる。

カラヴァッジョ登場

 カラヴァッジョ出現前、「二重空間」とよばれる構図の絵画が出現した。これは静物画や風俗画の画面奥に小さく聖書の場面が見えるというものである。手前のモノは絵画内空間と現世をつなぐ媒介となる効果があった。

 二重空間を極めた作品がベラスケスの「ラス・メニーナス*2である。画家から見た風景を一人称視点としてそのまま描き、鏡に映った国王夫妻は二重空間における聖人のように奥の別空間に存在する構図になっている。さらに、この国王夫妻は絵の中に存在しないため、鑑賞者と共に同じ空間に存在しているかのような状態となる、きわめて複雑な構図である。

 鑑賞者と共にあることを前提とした「不在効果」を使った絵画としては他にサヴォルドの「マグダラのマリア*3などがある。これは復活したキリストに出会った瞬間を描いた作品で、キリストが観者と共にある構図の取り方になっている。

 これらの作品は数百年の昔からヨーロッパにFPSの文化があったかのような感覚。

 そして現れたのがカラヴァッジョ。

「エマオの晩餐」*4は晩餐会のテーブルの上に今にも手前に落ちそうな果物カゴが描かれており不安定さからの動的印象が観者と作中世界をつなぐ。しかし光源の位置は明らかではなく神秘的な印象を与える。話し合う皆は正面のキリストを中心として誘うかのように「こちら」へと手を伸ばす。手前の席だけが開いている。「さぁ、果物カゴをとりキリストと共に席に着こう」そういう絵画なのである。非常に引き込まれる作品だ。

「聖マタイの召命」*5では、暗い収税所の中、画面右から差し込む光に当たりながらもうつむいて、照らされる小銭すなわち現世をただじっと見つめている青年がいる。青年は何にも見つけることができない。周りの人々は光の方から何者かが来たことに気づいた。一瞬遅れて青年が気づいて顔を上げ光に向かうその時、彼は改宗するのであろう。彼こそが、聖マタイ。映画の1シーンから切り出したかのように劇的な作品である。プロテスタントからカトリックへという主語はぼかしながらも「改宗」というシーンを描いた反宗教改革の時代にふさわしいものでもある。

 これらの傑作をものにしたカラヴァッジョが本書で好きになった。

 たいへんなカラヴァッジョファンの知人がいて、話をきいていてもその時は良さが分からなかった。だが印象には残っていて、いまようやくピントが合った状況にある。

ベルニーニ登場

 ベルニーニに関してはかなり細かめのエントリを書いているので簡略化。

 本書の表紙はベルニーニによる劇場空間の傑作「聖女テレサの法悦」*6である。

福者ルドヴィカ・アルベルトーニ」*7 *8は彫刻単体としての素晴らしさはもちろんのこと、背に置かれた絵画は下から天に昇るにつれて「肉体から魂、罪から救済」というストーリーを描き、さらに左側だけに明かり採りの窓があり陽光が天界からの優しい光のように差し造形を美しく見せるという建築の力まで使った複合的な窮極傑作である。

バロックの限界と終焉

 法悦の世界と瞬間を描くために技術を研ぎ澄ませたバロック美術も、大勢の観衆と共に見るとなるとその神通力は薄れていったのだった。王権神授説に基づいた絶対王政下のルイ14世の時代が来ると、神経が太いのか画面の中で聖人と共に輝きだしてしまった。

 バロックの技法最後の成果は1750年のティエポロ作品「オリュンポス山と四大陸の寓意」*9である。この作品の時代になると「神による窮極の瞬間表現」という時間要素から離れて「劇場空間」のみが残った。

 この終わり方はやや不可解な印象もある。まだ材料を燃やしきっていないのではないか?まだ先があるのではないか?と。特に、現代的なコンピュータ・ゲームのような一人用視覚文化でまだまだ突き詰められるという印象を持った。


関連エントリ

 バロック期を代表する彫刻家、本書の表紙作品も制作したジャン・ロレンツォ・ベルニーニがこれ一冊で分かる。