放課後は 第二螺旋階段で

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山際淳司の「スローカーブを、もう一球」で昭和後期のスポーツロマンを知る。

 この本は id:setofuumi さんの影響で読みました。

 スポーツノンフィクションの世界ではおそらく最も有名な本でしょう。中高生の読書感想文の対象としても人気があるようです。決定的瞬間にふと内的世界の彼方へと離れるような描写は村上春樹松本大洋に影響を与えたのではないかという印象を受けます。

 スポーツに全てを賭けたとは言わないが、これ以上がないまでに打ち込んだ人間ではあるという微妙なバランス感からの記録となっています。

 私は野球をルール程度しか知らないためよく分からない部分は多々ありました。

 この本の収録作で実話として面白かったのは、全くの素人から独学独習でモスクワオリンピックシングルスカル日本代表となった者の記録である「たった一人のオリンピック」

 文章表現として特に好きなのは、高校野球のスターにならないままプロ野球選手となりバッティングピッチャーとしての職責を淡々と果たす「背番号94」、小柄な棒高跳び選手が身体的限界記録に接触するまでを描く「ポール・ヴォルター」でした。

八月のカクテル光線

 WikiPediaに単独で項目が作られるほどの有名試合。1979年のことだった。私は野球の知識に乏しいためエラーの、スクイズの機微が分からない。
箕島対星稜延長18回 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%B3%B6%E5%AF%BE%E6%98%9F%E7%A8%9C%E5%BB%B6%E9%95%B718%E5%9B%9E

ぼく自信、星陵の野球部出身だということを初対面の人にいうとき、自分のほうから先にいうんです。甲子園の16回にカクテル光線のなかで落球した、あの加藤です、あの一番手がぼくです、と。

江夏の21球

 おそらくこの本の中で最も、日本のスポーツノンフィクションにおいて最も有名なのがこのエピソードなのでしょう。試合は1979年の日本シリーズ近鉄バファローズ対広島カープ

 この時代の超エース江夏豊ブルペンに代えの投手が現れたのを見て「俺を信用していないのか?」と怒りにかられる。が、戦術的にそうすることも共に理解している。その揺れが玉に出る。


江夏の21球 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%A4%8F%E3%81%AE21%E7%90%83

たった一人のオリンピック

 名門高校から東京大学へと進めず東海大学へと進んだ津田真男。だらけた大学生活を送っていた彼はふとオリンピックに出る事を決心する。日本で不人気であり一人でできるとして選んだ競技がボートのシングルスカル

 私が尊敬する英雄のうち一つは「独学の猛者」であるため、この人生には引き込まれた。

 彼は人生を破壊する努力と日本ボート界との競争に勝利した結果、ついにモスクワオリンピック日本代表まで登り詰めた。

 その後のモスクワオリンピックでの日本選手の動きは周知の通りである。

津田真男 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E7%9C%9F%E7%94%B7

背番号94番

ある夏の午後、彼は死んだように眠りこんでいた。じっとりと汗をかいていた。目をさました。壁に貼った山口百恵のピンアップがかすかに吹き込んでくる風にハタハタと揺れていた。どこからか歌謡曲がきこえてきた。

 ほんの数年前の夏にはたしかに自分のものだった夢や希望は、夏という季節をとおりすぎるたびに、その暑さに負けて溶けてしまったように思えた。クロダは夢が溶けていくときにも汗が流れるものだということを知った。

 下総農業高校は甲子園に出られるような学校ではなかった。その中の一人のピッチャー、黒田真治はドラフト外で巨人軍へと入団した。

 彼は高校生にとって大きな報道、契約金、そして名誉を、まるで偶然のようにたった一日で得てしまった。

 しかし選手としてはそれほど有力ではない。二軍でも伸びる余地はそうなく、その後はバッティングピッチャーとして野球人生を送ることとなる。それでも彼は、自分の人生は野球に賭けたものではい、偶然ここにいて、けれども離れないのだという。その心境、表面的には誰よりも謙虚だがいかばかりか。

黒田真治 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E7%9C%9F%E6%B2%BB

ザ・シティ・ボクサー

 「健康のためのボクシングですよ。体動かしてないと、なまっちゃうじゃない」
 そういったあと、なんでそんなにカッコつけるんだろうと我ながら思い、そういえば自分は格好をつけてないと生きてる気がしないんだなと納得した。いつもそうだった。あれはまだ小学校に通っていたときだろうか。新しくできた友達に、オレボクシングやってるんだというと、有人は目を輝かせた。その瞬間、友達の目が春日井にとっての鏡になった。鏡の中の自分は完璧でありたいと思った。人は、他社との関係のなかでしか、自分を支えられないときがあるし、たいていの人間はそんな風に生きている。

「リーゼントが泣いてるぜ」

 時代が生んだ天才ボクサー春日井健の記録。彼にとってはセルフプロデュースもまたボクシングを支える一つの試合であった。新たな試合がまた始まる。

ジムナジウムのスーパーマン

 スカッシュという日本人に馴染みの薄い競技に打ち込み日本一、世界一への道を歩むトヨタ自動車セールスマン坂本聖二の日々。仕事を休む日は必然的に多く人間関係がぎくしゃく、体の故障も決戦の最中に現れ、それでもまだ先へ、高みへ‥‥!

 日本選手権史上最大の9連覇を成し遂げた彼にもはや追従者などいない。そのはずだった。

 このエピソードが特に村上春樹的であるという印象を受けました。

スローカーブを、もう一球

 緊迫したシーンで、川端はキャッチャーを呼んだ。そして言うのだ。
「なぜオレにはガールフレンドができないのかな?」
 また、ある時はこう言った。
「今、ラーメンを食べたら、うまいかな?」
 キャッチャーは真面目な顔をして答えた―「コーヒー飲んだら気分がいいはずさ」

 群馬県進学校高崎高校はまるで偶然のように甲子園へと出場した。彼らは勝ちに狙いを澄ましてはいない。野球を限界まで楽しんでいるのだ。Goodluck & Havefun.

ポール・ヴォルター

「ぼくは涙を流すんじゃないか」と、彼は思った。
「しかし、なぜ泣くのだろう」

 高橋卓巳は、そのバーを間近に見て自ら手をたたきながら、クッションに落下していった。
 落下しながら、動かないバーを目前に認めて、手はもう拍手している。

 高橋卓巳は身長171センチと棒高跳び選手としては小柄である。彼が扱える棒の大きさには必然的に限界があり、その限界が記録の高さを規定する。つまり理論上限値が存在するのである。その壁を目指し、体を砕きながらも進んだ記録。

 彼はこの後にモスクワ・オリンピック日本代表を経てロサンゼルス・オリンピックに出場した。
高橋卓巳 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%8D%93%E5%B7%B3