岡田斗司夫最後の単著として発行されるにふさわしいダイコン・ゼネラルプロダクツ・ガイナックスのプロデューサ・経営者としての回顧録を中心としてのおたく論、作劇論、さらにはそれらが生きる社会に至る思考の集大成です。
私は2010年の出版段階で既にこの本の元になった一連のイベントのレポートを一通り見ており、それ以前に「ひとり夜話」シリーズもほぼ全て見ているため、本書の思考システムは既に身体の一部であり、全く新たにどうという部分は少ないです。今本書について何かを書くのは、常識をただ常識として思い出す事が難しい状態にあります。ですがそれでも、語り直しの力により素晴らしく面白いものとなっていました。
物語にとってのテーマとは?
なぜ作品を作るのか、今の自分の認識をそのまま出し切ること。それにより作家は最大の力を生み出す。観客は別にテーマは見ていない。力だけがかれらに対する効力。
- 普通の人間が突然のチャンスで思いがけない力を発揮する。
- 恐ろしいほどに簡単に掴んだ再びのチャンス。掛け金の高まりは破壊的領域に。
- 「映画を作っているんです、どんな映画」「アニメです」「ふーんアニメか」と言われる現状。
- 努力と根性を別に信じていなくても、その言葉を聞くと思わず熱くなってしまう心を肯定したい。
等々‥‥
「大阪という非中央出身であること」は地味に各所で効いている要素で、東京から外国のように離れている私的にもしっくり来ます。
作品が社会におよぼす影響に責任があるという見方もあり。つまり悩む人を増やすような話はダメではないかという事。
ガイナックスの人々のキャラクター
岡田斗司夫・山賀博之のシナリオはSF的・物語的に綺麗にまとめることを重視、樋口真嗣は悪ノリ傾向ありの面白さ追求、庵野秀明は名言偏重でシーン一つを作り上げるために上映時間の枠を大量消費するため難しいとのこと。
「ヤマアラシのジレンマ」さえも造語というのはこれで知りました。由来不明度合いが高く一般利用不可語と思ってはいましたが‥‥
ビジュアル面では貞本義行と前田真宏がそれぞれ世界を建ててくれる程の発想力。
ガイナックスに集まった綺羅星のごとき才能が各々の異なる持つ力を出し合い自然と高め合う様は見ていてうらやましい限りです。アイデアは相乗効果が出なければ弱体で無力ですから。
王立宇宙軍の時代
アニメ映画を作るとは何か?数億の資金を企画書と交渉だけで得ること、制作チームを編成する事。この視点からの回想となっています。1980年代という昭和後期、バブル直前の空気も込みの面白さあり。
トップをねらえ!の時代
TV版王立宇宙軍、オネアミス2等々とアイデアの進化から生まれた作品。
本当のコトで感動するのが本物ではなくて、感動そのものが本物でコトが本当であるかどうかは関係ないという発想。
樋口真嗣の全人格的おもしろさが牽引した作品ではないか?という趣旨の部分もあり。
他、最終話でモノクロとなり情報量が抑制されてトーンのコントロール性が高まり、立体物的な存在感としては曖昧になることにより隔絶した超科学時代のイメージを作り上げる効果を得たという。
ゲーム作りの時代
この時代の描写が長いのが本書の特徴。これがなければ何の記録も残らなかったかもしれない?
ガイナックスに限らず創作企業は構造的に収入が不安定で、何の企画も進行していない状態であっても毎月毎月莫大な維持費がかかるという状況が恐怖です。どれほど面白い企画・プロットを作り上げても、それが通らなければ資金には変えられず、通っても製作中はほとんど消費一辺倒。
有力映像企業でも変な作品を多数制作している理由はこの時期の描写で理解しました。赤字確定級でも何にも作らないよりはマシであるということ‥‥「赤字覚悟でこの作品を作りましょう」なんて高邁な理想も現実の赤字の前には踏み潰されるだけでしかないのです。
「逆襲のシャア」に出てくる戦艦ラー・カイラムのデザインなどもこの頃の資金稼ぎ策で、何でも出せば採用非採用問わずいくらかのお金が出たとか。
ゲーム方面へと進出する際に出てくるオーストラリア征服理論(オーストラリアの生態系で頂点にいるのはフクロオオカミだが、これがただの犬程度でしかない。勝てるところで戦え)はビジネス書的なノリとギャグが半々。美少女画力で圧倒するという方針はこれで決定。
ふしぎの海のナディアの時代
こういうスタッフを揃えればこういう反応が起こって最低限これくらいのこういう作品をあげてくるはずという状況をメタに見てのプロデューサ視点展開です。「タッチ」を作ってるタックとガイナックスをくっつければ独特な作品に納品信頼性も付くだろう‥‥という無茶さも理解して事を進められる時期。
この頃に出てきた「科学力とは何か?」というアイデアが面白かった。
国力とは何なのか今は簡単に計れない。だが海軍力こそが国力という時代があった。金剛・信濃・長門などの名が通るのはそれが一つの国、神そのものが動いているようなものだからである。
その時代にノーチラスのような超科学が出現したとき、人類の科学力がどうやって対処するのか。突き詰めた科学力はノーチラスとガーゴイルに対する第三勢力として存在できないか?そうすると現代科学とは何なのかを盛り込めないか?超科学同士の争いではバリアvsビームでインフレするだけではないか?というもの。
現代日本と結びつけるため、パリ万博に出た薩摩の少年侍を登場させれば、鎖国をやめた日本が科学力をつけて船を持つとはどういうことかを描けるのではないかと続きます。
この少年侍のポジションは実際の作品ではマリーが埋めました。
ガンダムでいえばカイ・シデンのようなキャラをとりあえず置いておくと後の展開で便利なはずだと理解できる勘が自分の世代には足りなかった、後半になるにつれ駒が減り展開がシンプルになるチェス的展開しかできないという回想。
書籍と同じ内容がネット上にありました。
特集 『ナディアの舞台裏』(『遺言』五章より)その(4) 「後半戦になったら生きてくる」キャラの置き方 - 岡田斗司夫なう。
http://blog.freeex.jp/archives/51323065.html
ウィザード・没企画の時代
山賀博之の没企画「ウィザード」が面白い!
今もしゲームにするならばインディーズの SRPG か ARPG ですね。Bastion あたりに近いイメージ。
ここにまとめられています。
「岡田斗司夫の遺言6」レポート提出_序 - 端倉れんげ草
http://d.hatena.ne.jp/eg_2/20080601
冒険野郎マクガイヤーの人生思うが侭ブログ版:続・岡田斗司夫の「遺言」第六章
http://blog.livedoor.jp/macgyer/archives/51340585.html
この辺りまで読むと、最近のアニメでは「魔法少女まどかマギカ」を非常に高く評価している理由も掴めます。今の世界、自分たちの物語と架空の世界を繋ぐSF的感動というスタイルです。
天才・前田真宏
超未来・超古代文明、そういう訳の分からない想像もつかないものを一任されて描ける才能の持ち主で、未だに才能が作品に変換されきっていない感あるとのこと。
ブレードランナーのポスターを描くエピソードはイベント時のレポートで見て印象に強く残っています。
土砂降りの雨の中アスファルトに写真が落ちている…かろうじて女性が微笑んでいるのが見える。写り込みの光の色合いで誰もがあの映画の街だと分かるというもの。
感動とは?
「自分はとてもそこまでできないという代償が感動」という答えを出していて、これがたいへん応用性が高いです。
最近見た話でいえば「泣きゲーのキャラのように純粋になることができない、知性が全く生きなくなるまで状況にのめり込むことができない」等。
マイナー・小さなガイナックス作品メモ
当Blog内の関連エントリ
http://d.hatena.ne.jp/kanabow/20130406/p1
2013年4月と比較的最近の再見で「遺言」を踏まえた所のある感想。
- 「人類は核戦争で一度滅んだ」 橋川卓也 - 放課後ハ 螺旋階段デ
http://d.hatena.ne.jp/kanabow/20080525/p2
ナディアのような超古代文明というモチーフが好きでも、前田真宏的な才能なしではこの位。