放課後は 第二螺旋階段で

モバイルでは下部のカテゴリ一覧を御覧ください。カテゴリタグによる記事分類整理に力を入れています。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのなんでもblog。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

現代物語の原型―「ゴルディアスの結び目」 小松左京

ゴルディアスの結び目 (角川文庫)

ゴルディアスの結び目 (角川文庫)


 日本SFの巨人小松左京の短編の中でも特に評価が高いのがこの一冊です。

 岡田斗司夫ニコニコ動画Youtube番組での「『魔法少女まどかマギカ』の原型である」というコメントが気になって読んだのですが、実際のところほとんど無関係でした。

 一冊全体を通しての総評としては、小松左京の長編は100の容量に500のアイデアをねじ込んでいて面白いが、短編は10の容量にぴったり10の容量が納められていて小粒な印象です。

 以下各話感想。

岬にて

 ニューエイジ系の賢人たちが暮らす孤島のような土地を若者が訪れる。正直言って「だから何」以上の感想を持てませんでした‥‥

ゴルディアスの結び目

 これが「魔法少女まどかマギカ」の原型と言われた作品です。少女の絶望による感情エネルギーが空間をも収縮させる無限力に永久に閉じ込められるまでの顛末が描かれます。

 サイコダイバーが入り込んだ世界はエログロ大増量の犬カレー空間のようで、なるほど要素要素では似ていると分かります。分かりはするのですが、そもそも「サイコダイバーがシュールな精神世界を冒険して問題を解決する」という構造を真っ直ぐに押し出した作品を後年に書かれたもので多数見てしまったため、ほとんど新味が感じられませんでした。

すぺるむ・さいえんすの冒険

 これが私的ベストエピソードです。ここからの「あなろぐ・らう゛」への流れを読めただけでも元は取ったといった所でしょうか。

 予想を超えていく物語の位相変化が面白い作品のため、未読でこれから読む方は以下のネタバレ部を読まない方が良いと思います。

 レイヤーが上がる驚きを使った構成的にはこちらの方が「まどかマギカ」的かも?


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 まるで映画の中の大富豪のような、精神が安定したハワード・ヒューズばりのきらびやかな紳士Aが偉大な名士として活躍する街。しかしその紳士Aの行動を子細に評価するシステムが存在する。それはなぜか?究極完成された人間を生み出すためのものに他ならない。

 なぜそのような人間を必要とするのか?それは彼が地球にただ一人生身で残った人類かつ指揮官だからである。

 この時代、地球は有機サンプルとデータに変換された全人類を乗せて宇宙を航行する圧縮情報移民船と化していた。しかし非常に残念ながらブラックホールの回避に失敗し、惑星まるごとの崩壊の危機に見舞われる。ここでただ一人の紳士Aは非合理的で破れかぶれの人間らしい非合理的な方法を人類消滅から救う最後の手段として思いつく。それは、あらゆる有機体サンプルを様々な方位に撃ち出し、情報化生命は電波として空間に放流するというものである。

 電波化された情報人類が救命ボートのように宇宙人に拾われる事で絶滅を免れるラストは、生命の有り様を変え、さらにはそれを活かしての死と再生を描いていてかなり感動しました。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

あなろぐ・らう゛

 1つ前に収録されている「すぺるむ・さいえんすの冒険」のエピローグ的な物語です。

 海辺で戯れるアダムとイヴのような男女に神的存在が問いかけます。

 宇宙内のちっぽけな存在でしかない人類がなぜ自然に対して美と崇高さを感じるのか?そして、人生の美とは?

 これに対する小松左京の回答とは。

 これは‥‥「海」です。あれは‥‥「雲」、あちらには、長い裾をひく「山」があります。青い「空」を、強い「風」が吹き、「太陽」の光がふりそそいでいます。これらはすべて‥‥「地殻」の一部にすぎません。「塩分」という物質をふくんだ、大量の「水」という物質、細かい水滴の集合、硅酸とアルミナの混合物、酸素と窒素が二対八でまじっている混合ガス、一億五千万キロの宇宙空間を、核融合反応を起こしている大質量の集合から輻射され、わたってくる電磁波、つまり光子流‥‥こういったものが、なぜ、私たちには "美しく" 快く "爽やかに" 感じられるのですか?―それは生物の中で、私たちだけでもないようです‥‥
 ―さあ、‥‥なぜだろう‥‥。

 そう、この娘も、いつかは‥‥いつかは年をとり、しわ深くなり、腰もまがり、老いが朽ちていくでしょう。しかし、その生命の育って行くある時期、かほどにまでも美しく、可憐であり、愛に充たされ、愛に輝いていた、という事実は消す事ができません。宇宙が、このあと何百億年か先にほろんでも、その宇宙の歴史の中で、たとえ須臾*1の間にしかすぎないにしろ、「知性体」の意識のうつし出す世界に、まぎれもなく、「美的感動」というものが成立した。という事実は‥‥それは、すくなくとも「この宇宙」における「全宇宙史」の中にきざみこまれ、永遠に消える事はありません‥‥。

また、人間が秩序を「高めるように」干渉しようとしてもその対象が大きすぎあるいは遠すぎて、手がとどかないにもかかわらず、成立してくる、という事に対する「驚き」が、「感動」をさそうのだと思います。

*1:しゅゆ。1000兆分の1の時を表す。刹那は100京分の1