放課後は 第二螺旋階段で

「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」 筆者の気の向くままに書き連ねるクラシックスタイルのblogです。ネタバレへの配慮等も基本的にありません。

村上隆講演会 「芸術家の誕生までの不思議―成田亨の場合」レポ

 以下の展示に関連して1月31日土曜日に行われた講演会のメモをまとめました。
 喋り調で書かれている部分も私の解釈であり、実際の発言とは一部異なります。


成田亨作品集

Amazon.co.jp: 成田亨作品集(この展覧会の図録になっています)

 成田亨 美術/特撮/怪獣
http://www.fukuoka-art-museum.jp/narita/index.shtml


 担当の学芸員は山口

オープニング

  • 村上隆は、アニメ、特撮などにあこがれアートの道へと進んだ。(この辺りの村上隆自身の一般的経歴・活動歴に関してはあらゆる媒体で何度も掲載されているため大幅に省略します。講演会ではかなりの時間を割いていました)
    • 手短にまとめると「私は日本ではほぼ活動していない」「私は日本人に嫌われている」「不遇だ」「なぜなら、日本人が無意識的に持っている問題意識を具象化しているためであろう」と。このことは非常に強調していました。
  • 村上隆はなぜアニメ・特撮にあこがれたのか?それは第二次世界大戦後の日本には大文字のアートが存在しなかったからではないのか?世界に対して影響力のある作品をアートと言うのなら、今ではマンガ・アニメがアートの最前線に当たるのではないでしょうか。
  • 村上隆はマンガ・アニメ・特撮と現代アートを、成田亨現代アートとマンガ・アニメ・特撮を、接続したという点では共通性のある作家なのかもしれない。ブリッジになる存在だったんですね。

前奏にあたる題材「作品と時代の影」

 ヴェルサイユ宮殿展示で広場の目立つところに置かれた金の球状の作品は、水木しげるの「たんたん坊」をモチーフにしている。これが描かれた1970年ごろは、第二次世界大戦敗戦の影がまだ色濃く残る時代であり、経済成長をただ謳歌するのはどうかという問題意識のあるテレビ・マンガ作品が多数存在する時代だった。

 日本人は経済成長の罪に悩んでいた。だが今オイルマネーで潤っている国は違う。自国の文化レベルを作品購入で高めています。それどころか美術館を建てる所からやってしまいます。これはすごい。しかしながら、日本だってバブル期には名画を買いあさったり、美術館を建てたりしていたので、人のすることは変わらないという事でもあるのでしょう。

 この「戦争の影」は20世紀後半の日本における特撮受容を理解する上で重要なポイントで、制作側の円谷や成田は第二次世界大戦、子供たちはベトナム戦争と、共通性のある原体験を持っていた。今の子供はおそらく ISIS の存在が原風景の中に刻まれているでしょう。彼らは世界をどう見ているのでしょうか。


 1970年頃には「第二次世界大戦を生き残ってしまったこと」をポジティブに描ききれない迷いがよく出ていました。

「戦争の影」を客観的時間軸でリストにするとこう。

  1. 第二次世界大戦
  2. ベトナム戦争
  3. ウルトラQ
  4. アポロ月面着陸
  5. ウルトラマン ここでフランス人宇宙飛行士が怪獣化した「ジャミラ」が出てくる下地ができている。

メインテーマ「芸術家の誕生までの不思議」

 成田亨に対しては「日本から見捨てられた」という共感がある。このような芸術家が再評価されるにはどうすれば良いか。

 死ねばいいんですね。

 何で死ねばいいという話になるのか。死ねばしがらみがなくなり、正当な評価がやっと始まるからです。
 芸術家のように究極的なものを目指す人間は、生きづらい。社会との衝突が多い。そのため作品が冷静に見られないのです。
 こう、生きている間に評価される芸術家というもの自体が、めったに目にすることのできない希少な存在なのです。

芸術家が誕生するまでの流れ

出生 → 困苦 → 挫折 → 芸が身を助けるか → 出展 → 受賞 → 独立 → 評価 → 覚醒 → 孤独 → 死 → 遺族 → 再評価

 基本的に以上のようになっている。

 例えば成田亨なら‥‥

  • 挫折

 幼少期に炎を掴んだことで手に障害があり中学校に入れず、太平洋戦争を戦う日本にとって不要な人間と判断されたような思いをした。その後手術をして一年後にようやく入学。

 挫折した時によい先生(阿部合成)に出会うことで、自分の才能を知ります。

  • 出展・受賞

 武蔵野美術大学の彫刻科に進み、新制作展・新作家賞などを受賞。

  • 独立

 芸術家として生計を立てることはできなかったので、TV業界のデザイナーへ。

  • 評価

 これは説明不要。

  • 覚醒

 宇宙科学者が「生命は念の形の中にあり、53次元がある?」という一般社会の尺度では意味不明な世界を見て新たな理論を生み出すように、芸術家も異常な世界から作品を生み出します。だから一般社会から乖離します。

 一般論的には、40歳くらいで覚醒する人が多いでしょうか。

  • 孤独

 1980年代には特撮関係での権利を裁判により失います。芸術家としての個展は続けていくのですが‥‥

 2002年に死去。

  • 遺族

 高山良作という着ぐるみ作家も一時注目されていましたが、今は成田亨ほどではなくなりました。何故なのかというと遺族のパワーに差があった、芸術家へのリスペクトに差があったんじゃないかなと思われます。

  • 再評価

 1990年代からでしょうか。椹木野衣の「日本ゼロ年」等の展示で再評価されるようになりました。今や毎年どこかで展覧会をやっているような芸術家としての評価を確かなものにしています。芸術家は死んでからが勝負なのかもしれません。


 以上のような流れは例えば北大路魯山人にも当てはまります。生まれる前に父が割腹自殺という所からして物凄い挫折の仕方。星岡茶寮を追放されて孤独になり、生前は女性関係・骨董関係の浪費等により人格的評価が最低でも、今では定番のブランドとなっています。

 社会のバブル的なシステム、パトロンについてもらう事で力をつけた所も共通しています。成田亨ならTV。今ならゲーム関係の産業もそうかな?

成田亨が現れた時代とは?

 前述の戦争時代関係以外には‥‥

  • 新制作展で新作家賞を取ったときの「八咫」には、イギリスの彫刻科リン・チャドウィックの1914年作品の影響が感じられる。当時は展覧会の会場に行くと、こういう作家が多数見られたのではないでしょうか。

芸術家生成のメカニズムは不幸との並走である・現代社会とアート

 成田亨のようにバリエーションのあるデザインは並の作家には作れるものではありません。何故そんなことができたのか。アートの教養があったからです。それ程の人物が純粋芸術ではなく TV の世界に置かれる不遇のおかげで強大な力を発揮した。
 
 日本においてルネサンスと言えるような芸術の全盛期はいつかと考えると、室町・安土桃山時代だが、これは「戦中」にあたる。

 戦争は苦しみだ。理不尽だ。

 こういう所からしか芸術は生まれないのではないか?という疑問がある。理不尽な事に対して何もできないのが芸術家。だから、理不尽であればある程に作品も力強くなっていく。

 成田亨が受け入れられる今という時代もまた、何かの「戦争」の中にあるのではないか。

 戦勝国の美術館は、兵器産業・民間軍事会社などの少々後ろめたいマネーでクリーンに買われた美術品により拡大しているのもまた一つの現実であります。