放課後は 第二螺旋階段で

モバイルでは下部のカテゴリ一覧を御覧ください。カテゴリタグによる記事分類整理に力を入れています。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのなんでもblog。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

2006-12-26から1日間の記事一覧

これでも自身に統合失調症の診断が出ていないのは

幻覚幻聴幽霊といったものに「リアルに脅かされる」感覚が無いかららしい。越えていない境界がそれくらいしか残ってないという気もする。

戦争が起きると鬱病が減るのは・・・・・・

昔から戦争が起きると鬱病が減ると言われているけれど、それは国家総動員状態のシステムに組み込まれることへの「啓示」の感覚からだろうと思う。ある種の強固な超越者を寄る縁にできれば人は活き活きとしていられるもの。 巨大なものや超越者に組み込まれて…

神懸かりへの道

自分の鬱や神経症や分裂病気質を病気であると自覚して、それを何となくではなく確固とした具体的な認識の力で治療し、その経過の思考を自ら本に書いた人間って、上で出した富野由悠季くらいしか思いつきません。 他にこういう本を出している人がいるのなら、…

分裂症寸前を自覚して生きようとしたらカラッポの理が走る。カラッポの知が走る。それが・・・・・・

経験を十二分に積んでいてやれば必ず食っていける富野由悠季なら「分裂症寸前」でも「Vガンダム」を撮れるものだけど、ぼくは何になるのかまるで分からないからか唯グズグズと崩れていくばかりです。。。 長い間枷や重石のような形で続いていた神経症の治療…

クリスマスだった。

クリスマスはカップルだらけで孤独な自分は嫌だ、クリスマスなんて大嫌いって話をよく読むけれど、ぼくは皆が水族館のガラスの向こうにいるみたいに離れて見えてしまうものだから、そうまで思い入れる感覚がわからない。 水槽の中にいるのは自分の方で、開か…