放課後は 第二螺旋階段で

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Q. SFや武侠ものみたいに、戦争をする代わりにそれぞれの国のごく少数の代表者同士の戦闘で結果を決めたりすることが
今までも、これから先も行われないのはなぜなのか教えてください。



A. 太古の昔にはそういう形の「戦争」が行われた例がある。
 中世ヨーロッパでは騎士文化が行くところまで行った結果、厳密なルールに則って行われる
一対一の決闘で勝敗を決める戦争、というのが実際に行われたこともある。


 ではなんで現代ではそういう事ができないのか、と言えば、戦争の形態が変わったから。
 近代までは、戦争というのは殺し合いというよりは、利権をめぐって人死にが出ることもある
勝負で決着をつけるもの、という側面が強かった(ただし同一文化圏内での話。異文化、異民族
同士の戦争はやっぱり皆殺し合戦になった)。
 なんでそんなことができたかといえば、戦争をするのは国家の支配者層と、それに雇われた
傭兵だけだったから。一般国民にはほとんど一切の政治的経済的権利がなく、
「譲渡したりされたり奪われたり奪ったりする存在」でしかなかったから、国家のごく一部の人間が
勝手に「勝負の掛け金」にすることができ、支配者層は自分たちの身に危険が及ばないから、
「あぁ、負けちゃった・・・ちぇ、領地が減る」という以上のものがなかった。
 もちろん支配者層が参加して死んだり捕虜になったりすることもあったが、戦死すれば英雄だし、
捕虜になっても身代金を払えば開放されるという世界だった。


 だが近代になって「市民社会」というものが成立すると、戦争で被害を受ける人間が国家の運営権を
持つようになる。
 そうなると、戦争の勝ち負けが自分たちの生活に直結する人々が運営する国家同士が戦争を
する事になり、その「戦争の勝ち負けが自分たちの生活に直結する人々」が国家運営権を持つ人々が
国民の大半を占めるわけで、そんな国家で「選ばれたただ一人の戦士」同士が戦った結果で、
国民の大多数の運命が決まります・・・なんて言われても、誰も納得などできない。


 あなただって、たった一人の国家代表が一騎打ちに負けたからあなたの国は明日から
占領下に置かれます、なんて言う政権与党には投票しないしそんな主張する政府は
支持しないでしょう?


 だから、質問の答えとしては、「近代国家というものが誕生し会皆民参加によって成立する
政治体制の国家が誕生したから」ということになります。


政治等に詳しい方から見れば言うまでも無いことなんでしょうけど、感心したので転載。
http://d.hatena.ne.jp/kanabow/20040721の関連


#だんだん「戦争の始まりと終わりがよくわからない」の>>1みたいになってきた?