放課後は 第二螺旋階段で

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魚群探知機はじめて物語


対潜掃討任務で豊後水道を南下していたその艇の水測員が、ソナーに感があるのを聞いた。
ただ、感度が弱いので、魚群と判断したのだが、ふと、彼はいたずら心を起こし、艇長に、「艦首方向反響音!」と報告。
艇長は、彼の報告を聞いて冗談だと看破したが、「総員配置に付け」「爆雷戦用意」の命令を下していたり。
さぁ大変、艇内はてんやわんやの大騒ぎとなり、爆雷が投下された。

その後、敵潜は霧消したので(当たり前)、艇は付近を警戒し、翌朝びっくり。
何と、海面が真っ白になるほど、水圧で浮き袋がやられた鯛が浮かび上がってきたのである。
一同、大喜びで回収し、一番大きいのを防備隊司令に持って行った。
司令も喜んで、その艇に対空機銃と弾薬を特配したという。
かくて、朝昼晩この艇の乗組員の食事は鯛づくしとなり、食べきれなくなったら甲板にロープを張って干物にした。

これに味を占めた彼らは、度々「対潜掃討」名目で鯛を捕ったが、そのうち地元の漁民から抗議が来たりしている。
しかし、司令への付け届けを忘れず行い、司令はその都度、対空機銃と弾薬を特配したので、艇は機銃だらけになっていった。

はたまた、この艇、船団の護衛で佐世保に行ったとき、港内に商船を送り出して、最後に爆雷の威嚇投射を行った。
すると、偶々、小アジの群れに当たり、またも大漁。
かくして、入港するや、直ちに乗組員は乾物作りに精を出し、マストに縄を張って吊り上げた。
これが、鎮守府のお偉方の目にとまったらしく、「貴艦は何をマストに上げておるか!」と、艇長、分隊士以下お叱りを頂戴したこともあったらしい。

白石良著「敷設艇 怒和島(ぬわじま)の航海」(元就出版)より。