放課後は 第二螺旋階段で

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「行きそで行かないとこへ行こう」 大槻ケンヂ

行きそで行かないとこへ行こう (新潮文庫)
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オレにカレーを食わせろ オレはいつでも心のままに ムルギー
オレにカレーを食わせろ オレはいつでも心のままに
中央線に飛び込んだ聖者の
最期の言葉が「カレーはなんて辛いんだー!」
と、「日本印度化計画」にも出てくるカレー屋「ムルギー」に行ったり、通天閣に登ったり。見たことや聞いたことはあっても、行ったことはないところへオーケンが行く紀行エッセイ。
 気楽に読めてノホホンとした楽しさでイイデス。

1992年の「東京裏デート」を2005年に読む

 デートじゃ絶対行かないようなところに行ってみる企画「東京裏デート」の回で、行き先に「目黒の寄生虫館」を選んでいるけれど、今ではわりと普通に人気がある場所になっちゃってるかも?
 地方人だから事情はTV等でしか分かんないけど、何となく時代の流れを感じたような気がする。


「養老温泉で、オマヌケな歌を作る」

 自殺願望の強い友人のための歌を作りにオーケンは養老温泉へ。そして「生きてあげようかな」と「おサル音頭」を作る。

 この話に出てくる「友人」は、一般的な幸せへの憧れが非常に強く、自分にはそんな幸せなど来ないのではないかという怯えや不安とコンプレックスを持っていて、小さな子供を連れている夫婦などとすれ違うと「何よ幸せそうにさ」と言ったり、「あの赤ちゃんに爆弾をしかけて爆破してやるわ」なんて言ったりして自分のペンダントを爆弾のスイッチに見立てて「爆破!」と言ったりしていた。
そしてその不安やコンプレックスが厭世感覚に繋がっているのではないかと思えたという。

 平凡と呼ばれるような幸せに強く憧れ、それの裏返しの平凡な幸せが手に入らないのではないかという不安や、手に入らないことへのコンプレックスに取り憑かれてしまうって「耳をすませばを見て自殺」に近い思想かも。このような心理をぼくは「耳をすませばを見て自殺病」とでも名づけたい。