鬱屈の中Vガンダムを撮り、その後蘇えりブレンパワード→∀ガンダムを撮るあたりまでの思索と製作記エッセイ。
何故∀ガンダムはあの話になったのか知りたい方や、富野由悠季ファンでないと意図が全然分からない文章で全編書かれているので、そういう人専用の本だと思う。
http://char-custom.net/data/2003/06/01.html
思考はここの講演会記事に書かれているのと同じような話が中心。
- 最近TVに出ていたロシアのアニメ作家ユーリー・ノルシュテインが、「デジスタ」とかに出ているような感じの若者の作品を見て、「もっと自分の周りの世界をしっかり見て作品を作りなさい、今の人は外の世界を見て生物的なところを取り入れてモノを作らず、自分の中の頭の中の物だけで作ろうとするからダメ」というようなことを言っていたけれど、アニメ撮り続けると行きつくところは誰もが同じなのかな。この本にも似たような話が出てくる。(その監督が撮ったアニメはそういう話をするだけあって、ちょっとした仕草、たとえばペンを取る動作一つにまでリアリティがあって、動きをただ見ているだけでも面白かった)
- 奥さんの「アアコさん」が実在の人物でないってホント?(名前は仮名だったとしても)
- 親に「子に最低限の気配りさえできないあなたたちは生きていてはいけません。でも死ぬのもお金がかかるからいけません」というのはスゴスギ・・・50歳は過ぎているであろう人間でも、そこまで拘りがあるものなの?親でない他人だったとしても、そう言ってやりたい気分になる状況だったのは確かダケド・・・
- 「映像の原則」を出したのは、映像の職に就いているのに基本も分かっていない人が多すぎて手間取ることがあったから?