Amazon.co.jp: 新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)
1972年にトヨタの工場で実際に季節工として働いてみた筆者による手記。
ラジオ番組「伊集院光の深夜の馬鹿力」内の「週刊クソバイトニュース」というコーナーでこういうネタが毎週読まれていて、ぼくはそれを聞いてキャハハと笑い、そしてパーソナリティの伊集院光が「クソバイトのベルトコンベア登場率は高すぎ(笑」と言ったのを聞いてまたキャハハと笑っていたのだけど、こういう仕事をバイトではなく、寮住まいで継続して行うのはとても恐ろしい。
僕がやったことのアルバイトは、牛乳なんかの四角い紙パックにストローを取り付けるバイトです。
ベルトコンベアーから大量に流れてくる紙パックを1つずつ取り出し、マヨネーズの入れ物を超巨大にしたものの中にボンドが入ってるやつを使って、ボンドを2箇所にピュッピュッとやってストローを貼り付けます。
1日8時間、延々と『ピュッピュッ、ペタ』を繰り返します。働いてる途中、自分が何者なのかわからなくなるようなバイトです。
でも、そのおかげでコンビニでパックジュースを見ると「ああ、こいつ止めが甘いな」とか「あーあ、ボンドをムダに使っちゃって」なんてことが分かるようになりました。
ただひたすら、ベルトコンベアから流れてくるトランスミッションのネジを締める。ただひたすら、ベルトコンベアへボンネットを運ぶ。ただひたすら・・・考える暇など無い。そして疲れ果て、帰って眠る。そして起床、出勤。
機械の都合に人間が合わせる単純重作業の繰り返しの生活はチャップリンの映画「モダン・タイムス」の世界のよう。
工場の門をくぐる時、守衛に身分証明書を見せる時、その時から自分は、もはや番号だけの存在になる。
それは、自分を、自分の魂と自分の頭脳を、まるで外套を預けるように預けてしまうものだ。
そして門を出る時、10時間か、12時間かぶりに<自分>を返してもらい、それを着てやっと自分の表情と威厳を取りもどし、家路を辿るのである。
単純反復不熟練労働は、それに従事する労働者を企業から離れ難くさせる。
一定の年齢に達し、一定の生活内容を作りそれを支える一定の賃金を受け取ると、もうかれはいまの企業から出れなくなる。
その労働がどんなに退屈極まりないものであっても、いまの企業にいるからこそ通用するのであって、他の企業ではもう通用しない。
若く、さまざまな可能性を持っている一人の人間が、ひとつの器官だけを激しく使う労働に囲いこまれ、人為的に未発達な人間にされてしまう。
何の特長もない、代替可能な、従順な労働力でいる限り、かれには一定の報酬が保証される。
かれは閉鎖社会の中で飼い殺しになる。
ここまでやったからトヨタは勝つことができたのか、という感慨もあるが、だがしかし‥‥
(この記事は1983年9月初版の講談社文庫版を読んで書かれたものです)