長い間ストックしていた「順列都市」の上巻中程まで読んだところで、グレッグ・イーガンの話作りの感覚は、神林長平に物凄く似てるのではという気がしてきました。
自我の存在は確かだけれども定型になることができずユラユラ揺れていて、同時にセカイもユラユラ揺れているところとか、人間たちの動きがあまり器用そうではないところが特に近い印象。
こういうことを考えてちょっと検索してみたら、「上級SFファン」からも同様の指摘があったのを発見。
http://www7.cds.ne.jp/~nactor/sf_obline/vol3/kyoto_99_day1.html