放課後は 第二螺旋階段で

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8月15日は終戦記念日

 といってもこれ以降の日に戦闘を継続しようとした人、せざるおえなかった人がいましたが……
 大規模な戦争が終わった後の兵士って、「戦う」という特殊状態を止めるとき何を思っていたのか気になります。
 日本軍やドイツ軍といった敗戦国を扱った戦記物では終戦の時、単に「虚脱」といったことが書かれていることが多く、他には負けたということを認められず徹底抗戦を主張し実力行使に走る者も出たという話もたまに見られるくらいなんですが、そのときのことを何ヶ月か、何年か経って思い出したとき、何を思うのか。
 「生き残れただけ良かった」「勢い余ってやってしまった」で終われるものなのか。割り切れない何かを引きずってしまわないものなのか。
 エース級の戦闘機パイロットなんかだと、現代でいえばF1マシン並の物凄い物を長年扱い続けて、その道を文字通り命をかけて極めたのに「戦争が終わった」という自身とは離れたところにある事件が原因でその技能を使うことが2度と無くなるなんて、あまりにも空しすぎる。


 ぼくが物事を引きずりすぎる性格だからこんなことを考えてしまって、普通の人は何も思わないもの?