以前「自己否定から〜」と書きましたが、自分が考える一人称を「ぼく」にする理由パターンはこんな感じ。
- 自己否定とその負担低減系
- セックスが嫌だ、わずらわしい(生物学的性差)
- ジェンダーが嫌だ、わずらわしい(社会的性差)
- それ以上に全てが嫌だ、生きていくのがわずらわしい。可能な限り「透明」になりたい(このパターンには思い入れが強い……)
- 「それでも自分の身体を使って生きていくしかないんだから」という諦めから向上が始まる
- 自己肯定が欲しい系(正直分からない)
- 男のほうがいいからなりきり
- 好きなフィクションキャラクタになりきり
- フィクションキャラクタでよくある少年風→元気系のパターンは、現実だとなりきりからの派生でだけ出る可能性がある?
どれにしても、精神的にカツカツ(あるいはカツカツに追い込みがち)で自分以外のこと考える余裕が無い場合が多いのではないかと思います。自分のことしか考えられなくちゃ、他人から良くなんて見られやしない。
以前の文のコメント欄で書かれたような、歌を中心とした創作界で使われる例は省略しました。そのパターンについては今後何か答えが出たら書きたいです。
こんなエントリ書いてたら丁度まとまったサイトが
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記事抜粋等は無いので読むのに手間がかかるけど、上に書いた文章より断然多面的に見られそうです。
どれか一つだけを読むのなら、下の方にある「【私はコレで】俺僕女懺悔室【やめました】」が一番手っ取り早いと思います。
自分の文章作成時は「自己否定系」が圧倒的と想定していましたが、実際には「なりきり系」の人が断然多いっぽい。