放課後は 第二螺旋階段で

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「ボクっ子の類型 / 何故ぼく?」への感想の感想

 時間が経って閲覧と反応が一巡したようなので、ここでコメントに影響されて現れた思考を書いてみます。ぼくはつねに対話と発想を求めている。

  • 自分は病的なほど理に走るタイプなので全てには理由があるはずだと考え、肩に力を入れて一つ一つ理論化したけれど、それは却って非現実的で、実際には理由なんていらないのかもしれない。

ボクっ娘に対応する、男性の一人称は? 私? アタシ? ――江戸っ子?

 このコメントはちょっとわらいました(笑)
 男の人で同様のニュアンスを持たせたいときの一人称は「ぼく」か「自分」なのではないかと思います。歳が上にいって分化が進むにつれ「ぼく」って言う人少なくなっていると思いますし……
 他には、一人称そのものを根本的に使わないようにするというテクニックもありえます。
 でも、きれいに対応する一人称は無さそう。考えつきません。
 個人という領域では女の人が男の人に対して上位互換を持っているのでこうなるのではと思います。
 (上位互換という言葉の使い方正しいかな?女の人のほうがとりうる幅が広いという意味あいです)

  • キャラクターって内面以外のどういうところから建てられるんですか!?ルックス?キャラクター文化がどうも苦手で馴染めずにいる自分は少し気になります。
  • 現実の一人称として「ぼく」と発言したことが無い人の中にも、頭の中の思考言語システムを合理化するために使う人がいると知りました。
    • 思考するときに言語をほとんど使わない自分はコメント不能。
      • だから言語能力が上がりにくいのか?