放課後は 第二螺旋階段で

筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのblog。カテゴリタグによる分類には力を入れております。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

「よく女子供を撃てるな」「簡単だ。動きが鈍いからな」 / 「ワンダと巨像」をクリアした

ワンダと巨像 PlayStation 2 the Best(再廉価版)

 昔はコンピュータゲームを数日のうちにクリアしてしまう大人の話を見て「信じられない」と思っていたけれど、今は自分がそういう種類の人間になっていることに気が付いた。「ワンダと巨像」を合計4日のプレーでクリア。人間側の握力が駄目になるまでやるくらいの調子でプレーしていたので、一日4体というハイペース。


 はじめのうちは「敵」でもなんでもなく、自然とともに生きる巨像を「少女」*1を蘇らせるという自分の目的だけの為に殺し続けるやりきれなさがとても良かったんだけど、後半になると殺る気満々で襲いかかってくる巨像が増えてこちらも殺る気満々に。
 自分はもともと「殺し」に慣れやすい気質で、相手の自衛のためだとしても攻撃されたらそれが原因で「理由付け」が行われて無制限状態になるタイプなせいか、もの悲しげで詩的な雰囲気は後半になるにつれ薄れていって、最後のほうになると初めのころの気持ちなんてすっかり忘れてしまったかのようにさえなってしまいました。
 いくら血を噴き出し暴れようとも「この登攀で確実に仕留めるっ!」以上のものは無し。いくら苦しそうにもがいても「入ったっ!」という気分が一番に。


 これは、エンディングでの展開へと向かうためにわざとやっていたんでしょうか。
 巨像を倒すたびに「黒いもの」が主人公の身体に蓄積されていく。プレーヤのぼくにも何かが蓄積されていく。それは「黒いもの」なのか?


 初めの世界感覚を通すのなら、末期の巨像は「殺る気満々」より、物凄い登攀難度だけど戦意が無く「なぜ殺した」と葛藤を感じるくらいのほうが良かったと思います。殺人ビームなんか撃たれちゃうと、こっちも「殺るっきゃない」って気分になるものです。
 他者を補食して生きる「動物」や殺すためだけに生まれた「兵器」よりも「無罪」な、「山」や「植物」のようなイメージを持つものを殺してしまう感覚を残して欲しかったと思います。
 でも、飛び抜けて殺しが好きな自分を基準にして判断すると駄目なのかもしれない。

 巨像の中の人は何者なのか、なぜそれぞれがあんなに違うものになったのか、なぜ主人公を見守るのか、それが自分にとっての一番答えを捜したい疑問。


上の文章を一行にまとめると

 詩的で悲劇的な始まり方とその後の展開との間でズレが大きすぎると感じられて、いまいち入り込めなかった。

さらに変えると

 「MYST」やってたら途中から「Soldier of Fortune」になってびっくり。

細かいけれど重要な話題

  • 「手応え」の表現が素晴らしい。「手応え」って一体何でできているんだろう?巨像をグッとつかんで登って行って、毛は手足で踏ん張るようにしがみつき、硬質の縁には手だけでぶら下がる。手足にいれば振り回され、体幹に近くなれば振り回されなくなり余裕が出る。剣を全力で突き刺せば身体に反動が来る。巨像が動けば地面は揺れる。馬に乗ればタッタカタッタカ弾むように揺れる。
    • 振動機能が発達するより前の古いゲームやPCゲームばかりをプレーしている自分は、振動コントローラのチューニングの細かさに感心するばかりです。
  • 「巨大建築と鳥」や「眼が眩むほどの光と白い鳥」という表現を最初に発見したのは一体いつの誰なんだろう。定番描写でいつからなんて決められない?このゲームで、美しく使われていて気持ちがいい。
  • フレームレートが全体的に低すぎてかなり酔いやすかった。景色がいくら綺麗でも、この作品ほどフレームレートが低いと嘘っぽすぎて駄目です。
  • ダウン後の起きあがりに無敵判定が無いのでハメ殺しされることがあって理不尽感が。
  • 馬で走っていると鳶みたいな鳥が併走するように飛んできてくれることがあって、孤独なこのゲームではそういうちょっとした仲間が嬉しくなる。ゲームそのものとは全然無関係ですが、自分で自転車に乗っているときもたまに鳥と一緒に飛ぶことがあって、それを思い出したりもして。
  • アグロが水を飲むのにはびっくり!こまかい。アグロかわいい。
  • アグロの乗り込み位置判定が厳しすぎて曲乗りをこなすのが妙に難しいです。
  • 巨像 主人公 砂嵐 カメラ この並びになったとき主人公の姿が全然見えなくなるのにはちょっと悔しい。主人公に見えているならぼくにだって見えていいでしょう?って。砂嵐の透過処理等して欲しくなる。

*1:恋人、妹、自分のミスで命を失ってしまった人のどれともとれるところがおもしろい。