少女オーリャド・ファニーフィンガーズは何でも鉄から作り出してしまう。
父ヘンリーのがらくたの山から犬を作って遊んで、また鉄に戻して遊んだり・・・・・・
家族や鉄と過ごしている間は少し変かもしれないとだけ思っていた子、オーリャドも成長して学校に行くようになって他の人間と触れ合ううちに、少しではなくひどく違うと感じ始める。そして、自分と同じように鉄から何かを生み出す大人に偶然出会っても、かれらは「能力」について何も教えてくれない。
成長するにつれて恋人もできたけれど、彼とは共に生きる時間の感覚や鉄というもののとらえかたでどうしても噛み合わないまま。仲はいいけれど、どうしてもずれて壁ができてしまう。
その壁の正体は一体何なのか?そして、小さな時に感じていた母と父との間にあった距離感は一体何から来ていたのか?
いわゆる「能力モノ」に登場するような人間が、人と人との間で過ごすうちに、その能力ゆえに越えることができない精神的な壁の向こうで生きるしかないことにゆっくりと気付かされるという構造が綺麗に決まっていて、哀しくも好きな作品。
「SFマガジン2002年8月(通巻556号)R・A・ラファティ追悼特集号」に掲載。
以前、R・A・ラファティの小説の面白さが分からないと書きましたが、この号に掲載されている幾つもの短編と公演記録はほとんどが非常に面白く、再読したいと思いました。
小説の話題を復活させるため、そしてお話の面白さを分析してみるために、実験的に一つ感想を書いてみました。
以下自作時向け箇条書きネタバレなので畳みます。(畳んでいない部分と同じ位の長さです)
- 今作はエピグラフの使い方が上手い。冒頭は「オルフェウスのオペラの詞に感動し流された冥府の王プルートの涙は、しかし鉄の涙だった」一撃で空気を支配する。中盤は「鉄を加工することで技術を生み出した人々。かれらは永い間非常に若々しい姿を保つことができた」予感。
- 「能力」を使うときは何の引っかかりもなくサラリと書かれていて、後でそのことを説明しないといけなくなったとき、会話の言葉に上手く乗らないせいで特殊性が初めて見える。その構造は「能力」が無いことが標準ということを思い起こさせてくれる。
- 物だけじゃなくて、アルファベットから真理まで何でも鉄から作れるよって言う。
- 主人公の恋人になる少年は、アメリカの田舎町にとって異物に近いシリア系の人間で、主人公とは異物同士だけど、それでも彼とは同じ世界に生きることが絶対にできないということで孤独さが一段と引き立つ。
- 長命族は子供の期間が長くなるので、認知能力や語法が幼い時間が長く続いても不自然になったり痴呆キャラに見えたりはしない。
- 別に低年齢好きというわけではない自分でも、思考力を持った子供キャラクターはかわいいと思うので、その要素を持ったままストーリィが進むとのんびりゆったりとした気分になれる。
- けれどその要素が「決して他人と同じ生を共有できない」という将来の悲しさにちゃんと繋がっているところが上手い。
- 別に低年齢好きというわけではない自分でも、思考力を持った子供キャラクターはかわいいと思うので、その要素を持ったままストーリィが進むとのんびりゆったりとした気分になれる。
- 「鉄」と「長命」と「成長」を連結させたところでもう勝ってるってかんじ。