主人公の高校生は、学校帰りにゲームセンターに寄ってナムコのギャラガで遊んで、家ではパソコン通信で遊んだりする古きよき「電話ハッカー」
ハックの延長で、新発売のコンピュータゲームを勝手にダウンロードするため、音響カプラを使ってある地区の電話回線に総当たり攻撃をかけ、その結果コンピュータへの接続に成功。ゲームリストが表示される。けれど、そこから先はパスワードが分からず進めない。
大学生のハッカー仲間からゲームリストにある「フォルケンの迷路」というフレーズがバックドアに関係があるはずだとアドバイスされて、図書館で「フォルケン」について調べてみることに。
そして、フォルケン氏はすでに亡くなっている教授で、その妻と子供は教授よりずっと昔に亡くなっていて、教授の子供の名前は「ジョシュア」だったということが判る。
接続先コンピュータにパスワード「ジョシュア」を入力することにより、教授の電子の子は動き出す。
主人公がゲームとして入力した「全面核戦争」を「ジョシュア」は実際の命令と評価。
軍事指揮用コンピュータだった「ジョシュア」
核戦争の無益さをこの「電子の子供」に教えるには、一体どうすればいいのだろう?
1983年公開という25年も前の作品で、ストーリー以上にその年代の電子文化がよく表現されているところが大きな魅力になっています。
序盤のギャラガやGUIのないコンピュータに始まり、音響カプラ通信、図書館でのアナログな検索、電子ロックの音データ解除、公衆電話鉄片ショートタダがけといった1980年代のハッカーテクニックが面白おかしく、そんな手があったのかと感心させるようなスタイルで登場。
中盤の逃亡と行方不明の博士絡みのエピソードはあまりにも長すぎて非常に眠くなりました。コンピュータという論理しか理解しないシステムと対峙するはずのところで、ちょっとした人間ドラマをされても仕方がないです。ですが、これがないとハッカー技を見せる機会がなくなってしまいます。見せたい場面から逆算してできた映画なのでしょうか?
ストーリーそのものは、良くも悪くも少年向けといった印象です。
登場人物の指向が初めから終わりまでほとんど変わらないところや、みんなが主人公と全く同じ状況と利益を狙っているところなど。利害の対立などは全くといっていいほどありません。今作は偶発的核戦争阻止という極端な状況なので当然といえば当然ですが…(何かと口実を見つけてソ連を攻撃したがる将軍、などはいない)
「大人の知らない手が届かないところで、子供が勝手に頑張って走り回って問題を解決しようとする」というのはジュブナイルっぽくて楽しいところです。
コンピュータに「勝者無し」を教えるためのゲームが、どんなコンピュータに入っていても全くおかしくないごくシンプルな「三目並べ」というのは上手い。
オープニングのテロップ表示やNORADのディスプレイは、指摘通りゲーム「DEFCON」そのままでした。
テロップ表示速度・効果音まで同じ。指揮所の戦略ミサイル原潜アイコンの形といった細かいところまで一緒。素晴らしいオマージュになっています。