放課後は 第二螺旋階段で

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BABEL

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 「悪いことをしていないのにどうして隠れるの?」
 「悪いことをしたと思われたからよ」


 『創世記』によれば、古代ヒトはバベルの塔を建て一つの存在であろうとしたため神の逆鱗に触れ、言葉をそれぞれ違ったものに変えられ意志を通じさせることが不可能となり、世界中に散っていったという。


 そして現代。人々のコミュニケーションが濃密化した結果、言葉は民族や国家ごとではなく、個人という存在の最小単位ごとに違っているということが明らかなものとなった。もはや誰とも通じ合うことは無い。それでも好意的な誤解の力によって世界は均衡を保ち回っている。


 誤解に支えられた良きものであるはずの世界は、絶対的な存在に保証されたものではないため、僅かな力で均衡が崩れてしまう。そして悲劇はドミノ倒しのように連鎖する。
 事象、それは意志とは無関係に世界を繋ぐもの。


 繋がりを取り戻すために子供をおいて旅だった夫婦。自尊心を満たすために少年が遊びで撃つ銃。銃を好意に基づいて与えた資産家。おかれた子供を育てる義務を背負ってしまった家政婦。かれらの人生の物語はほんの僅かな無理解と無関心から破綻へと転がり落ちる。


 それでもまだ、分かりあえると信じたい、と。
 もはや祈ることしかできない。その祈りは一体何者に対して?しかしあるいはヒトに届くのかもしれない。


 エンドロール込みで140分程度と標準かやや長めの映画ですが急激に面白くなり始めるのは105分近くからなので、始まったと思ったところで終りました。もったいないと感じましたが、これ以上続けるとおそらく蛇足でしょう。あるいは過剰な悲劇。
 ドミノが全て倒れきる瞬間で終わり、そこから引いて全体を見渡すことはできない。そんなタイミングの取り方。


 公開当時、日本人の役者・菊地凛子のハリウッド進出ばかりが宣伝され、内容への言及が少なかった理由が実際に観てよく分かりました。ネタバレしながらでも内容を解説するのが困難で、その上必要な予備知識が日本人には馴染みの薄いものという構成をしています。(「バベルの塔」の物語を知らない人が少なくなかったりして)