生活とまったく違った文法で表現される「決闘」と「空戦」
いずれも少なくとも当人の意識にとっては重大で敗北は許されないけれど、実際のところは再生可能な程度で致命的でないという手加減の中にある行為。
永遠として存在することが可能な中で行動を続けること自体に一体どれほどの意味が?
フィジカルな危険がない衝突の中でも何らかの経験を積むことはできる。
「決闘」や「空戦」の繰り返しの向こうにある外の世界は荒廃しているかもしれない、再生不能な致命的な破壊をもたらすかもしれない、何かを得る可能性は限りなく低いだろう、それでも関わっていこうという意志。
これが両作品で感じた共通点。
一つ上のメモで使った「永遠」といった言葉は『ウテナ』のほうで掴んだイメージを引いてきています。