放課後は 第二螺旋階段で

筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのblog。カテゴリタグによる分類には力を入れております。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

「ゴッテスマン教授とインドサイ」 ピーター・S・ビーグル

 「並はずれた、というのが他のひとにとってどういう意味かはわからないけれど」
 サリーはいつも、がんこにこう返す。
 「わたしにとっては、それはある意味でユニークということだわ。そして、ガス、それはまさにあなたよ。あなたはこの街にも、大学にも、この世紀にも属してるって感じがまるでしないの。でも、そんなあなたがいてくれるのが嬉しいのよ」

 スイス・チューリヒで生まれ育ち、アメリカ中西部の中都市で哲学教授として一人淡々と暮らしているゴッテスマン教授。
 かれは故郷からやってきた姪を連れて行った動物園で、何故かインドサイから話しかけられます。
 喋るインドサイは自分をユニコーンだなどと言い、教授が動物園から帰った後も誰からも気付かれないように教授の家に入り込み、奇妙な共同生活を送ることになります。
 初めは人間の常識からあまりにもかけはなれているインドサイに困惑させられる教授ですが、誰にも気付かれず教授の講義を聴講し意見を述べるインドサイの知性と礼儀に、何日と、何年と、何十年と経つうちに魅せられていくのでした。
 教授の姉の娘で小さな子供でしかなかった姪、その姪が育って生まれた娘…世代の入れ替わる時間がたちまちのうちに過ぎていく中でも教授とインドサイは変わりません。


 そして、異形の者との共同生活を精神的に助けてくれる、何を否定することもない大学の大切な友人サリー。

 サリーが病で倒れたとき、今まで知性を見せていたインドサイは教授を背に乗せて空へと舞い上がる奇跡を起こします。

 知性と奇跡を持ち合わせたインドサイは姿こそ違うけれどユニコーンと呼ばれる存在なのかもしれない…


 今作の、時間が経つにつれてこの世への執着が無くなっていき、それを悲しむこともなく全てを赦して落ち着いて去ることができるという描写には素晴らしいものがあります。こうやって静かに死んでいけるのなら、何も怖いことはありません。
 何かが永遠に失われようとしているのに不思議と暖かい。


 SFマガジン2002年12月号掲載。
 ハヤカワ書房メールマガジン2008年10月下旬号秋のファンタジー推薦短編。
 このエントリは2008年12月上旬に製作しました。