ニュースを見て「自分も拘置所に入って読書に励みたい」と思った二大人物の一人が佐藤優(もう一人は堀江貴文)である。
この本は、歴史の弁証法により必然的に生まれた時代の転換点により否定され、国策捜査により逮捕されたと自らを理解しての記録であり、決して悪などではないという認識を起点としている。たとえ逮捕されようとも、日本の国益を第一とする立場から抜け出すことは自分の過去全てを否定することになるためだ。
実話誌的なインテリジェンスで有名な著者だが、そうである以前に神学人であり、無神論的マルクス主義者と対峙せず、しかし迎合もせず、内部からの革新をめざしたチェコの神学者フロマートカに範をとる、日本では珍しいタイプの思想家である。
NATO拡大の対象となった諸国、ポーランド、チェコ、ハンガリーは西ローマ帝国文化圏(カトリシズム・プロテスタンティズム世界)に属すためアメリカによる一極支配の世界秩序の中で一流国となり、ロシアは東ローマ(ビザンツ・正教会)文化圏に属するがために二流国の立場を甘受せねばならないといった世界情勢認識は佐藤優ならではであろう。
そもそも国策捜査とは何なのか
ある時代の終焉を象徴する、けじめをつけるために検察が行うものであると著者は認識している。
田中角栄的な日本的社会主義の終焉が鈴木宗男らの逮捕であり、金で買えないものはないという新自由主義的価値観の終焉が堀江貴文の逮捕に繋がったという分析である。
佐藤優の獄中記から見る神学・法学ノートのノート
勉強の時期と場所柄のため、思考量は非常に多いものの結論は「何故自分の逮捕が必要であったのか」という傾向が強く変化と纏まりにやや乏しい感がなきにしもあらず。*1
神学論争は、正しい側が敗れることが多い。政治力や警察力の介入によりその結果となる。勝者である正統派は「理論的に正しくない」という弱さを持ち、敗者である異端は「自分たちの方が真理を担っている」という認識を持つのでキリスト教世界全体の硬直化は防がれるという。
また、論争に決着がつくより前に政治力の介入や疲弊により自然終結し、しばらくしてからほぼ同じ論争が始まることも珍しくないという。
「無益な論争」について「神学論争」としばしば揶揄されるが、実際の神学もその形式で論争を行なっており、しかし無駄であると問題にはならないという。これは若干理解しがたい点である。
神学は「究極的なもの」と「究極以前のもの」という概念を分け、国家、民族、文化は「究極以前のもの」となるが、しかしそれは無駄ではなく「究極的なもの」に辿り着くために必ず経由しなければならないものであるという。この思考法はヘーゲルの弁証法、テーゼとアンチテーゼがアウフヘーベンされジンテーゼとなるものの原型であろう。
キリスト教の有名な言葉「汝の敵を愛せ」は、誰も彼も愛せという意味ではなく、敵とはっきり認識した者を愛せという意である。敵を愛することは、対立の構図を見極めることにつながり、敵意の増幅を止め、創造性を生み、敵から敵性を取り除く術を思考することとなり、最終的には拡大した自己の責任範囲に敵をも引きこむことに繋がるのだという。
これもまたヘーゲルの弁証法につながるのでは思われる。
(私は個人的にヘーゲル的なものに対して非常に馴染みがあるので何でもかんでも適用してしまいます)
ヨーロッパ人とユダヤ人の歴史認識には大きな違いがあるという。いずれも初めがあって終わりがある点までは共通で、古代ギリシャ語で云うところの「テロス」であり、これが「終わり」であり「完成」であり「目的」である。
この「テロス」がキリスト教ではイエスの出現により保証されており、歴史に底があるのならば、その底はイエスの死により既に通過しているため、これ以上の底たる終末となればイエスの再臨により救われるという楽観的希望を持っている。
ユダヤ教における「テロス」は、終末に救済されることを望むが、未だイエスにあたる存在は出現しておらず、どのような歴史的状況であろうとも、まだ底に達しておらずさらに酷いことが起こりうると悲観的である。
ヘーゲルの法哲学によると「犯罪者は法秩序に違反していない」という。摘発され、裁判にかけられ、刑を受けることにより犯罪者と国家の間の取引は成立し、従って法秩序は維持される。法秩序に対する違反は、国家が本来裁かなければならない者を放置しておくことにより生じるとのこと。
ソビエト連邦のユニークなところは、ソビエト民族など存在せず国民国家でないという点。国民国家以前のロシア帝国から直接共産主義という未来の形態に移行したことによる。国民国家のナショナリズムでは個人が人類全体と一体化されることは無いが、共産主義やイスラム原理主義は個人が人類全体と一体化する思想なのではないか?Nationとはすなわち民族、United Nations(国連)とは諸民族の連合であるという。ウサマ・ビンラディンなどイスラム原理主義思想が国連を認めないのはそれがためではないか?という。
チェコの初代大統領トマシュ・マサリクは哲学者で社会学者、ロシア思想の専門家。学者としての始まりは『現代文明の傾向としての自殺』であった。その研究によれば、自殺は生活的困窮ではなく、十分な生活水準がある者がシステムの転換についていけずのアイデンティティ崩壊によるものが多く、近代文明はその本質として自殺者を生む傾向があるという。また、マサリクはソ連に対して共産主義政権転覆工作を行うなどの外交についても謀略家であり積極的であった。そしてこのマサリク、フロマートカの師匠にあたるという。
北方領土問題は人工的な失地回復運動である。既に北方四島に住む日本人はゼロである。この活動を維持しているのは政府によるプロパガンダにすぎない。この状況を覆すには、日本による北方四島でのビジネスを推進し、日本人を居住させ、トロイの木馬のように内側からのものにすべきであるという。
また、鈴木宗男らの活動がなければ冷戦時の物語が維持され、ロシアとは冷戦期のように敵対し続け、北方領土近海で「不法操業」の漁船が銃撃されるような事態が続いていたであろうという。
当時私はムネオハウスというハウスミュージックを聞いて面白がっていたが、鈴木宗男という人物は佐藤優によるときわめて有能な外交政治家である。
小泉政権(当時)が目指すハイエク型経済成長は強き個人が牽引者となる方式だが、何者がそれになっても構わない点が特徴であり、同時に行われているナショナリズム高揚外交と相性が悪いので今後摩擦が大きくなるのではないかと予測されている。これはインターネット上で反韓国反中国により汚染された情報を濾過して摂取する状況が長く続いたことに苛立っている私個人にとって当を得たりというところ。
なお、ハイエク型と対立する経済成長は、ヘーゲル型であり、これは国家や民族を基礎単位として成長させようというもの。より一般的な表現とすると田中角栄的とでもなろうか。
拘置所外にいる外務省の後輩に神学的思考法が通じると分かって手紙に書かれるようになるのは拘置所生活の末期になってから。これは本当にもったいない点。佐藤優の語彙はおそらく神学に最適化されているため、これ以降思考描写の精度が飛躍的に向上している。
佐藤優の個人的話題と拘置所について雑多な記録
- タイプライターには当たり外れがあるらしい。