放課後は 第二螺旋階段で

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「饗宴」 プラトン 訳:久保勉 はプレ神学

饗宴 (岩波文庫)

饗宴 (岩波文庫)

 知を愛すること、知を渇望し探求し続けること、それすなわちフィロソフィア、哲学なり!

すなわち愛とは何者かに対する愛であること、愛は所有しないものに対する一種の憧憬または渇望であること、しかも美しきものに対する愛であるということである。しかるにギリシャ人にとっては美はやがて善なのであるから、この考えは愛の最高段階を準備するものである。すなわち愛は美(したがって善、美は善の特殊の形なるが故に、)を欠けるもの、そうしてこれを追求するものということになる。

 換言すればエロスは哲学的推進力、畢竟フィロソフィヤ(智慧の愛すなわち渇望)にほかならない。

 多神教の思考感覚は一神教の思考感覚と異質すぎて理解し難かったものの、絶対そして永遠のものと、それを準備するものについての考察という点では、現代に残るキリスト教神学と変わる所がありません。

  • 少年愛は義務教育発明以前の社会教育システムであり師弟関係に近く、現代の同性愛とは全くといっていいほど関係がない。たとえ己が老いて死せども、継承者が成り代わり美に挑み続け永遠に接近するための手法。
    • 「粋」な方法で愛を手に入れるのは誉であり善、真の価値を損ねるところが無いという思考が既に存在するのは興味深い。古代より全人類が共通して持っている感覚ということになる。
  • 古代、男女はひとつの球体であり、神により引き裂かれたために欠けた片割れを求め続けるという愛についての思考はこの本が初出。球体人はゼウスに挑むほど優れていたという。
  • 「それ」に固有ではない、何にでも取り付けられるような本質的でない美辞麗句は無意味であるという弁論術に関する指導がこの時代すでに行われている。
    • 「君は単に見せかけの美を代価として真実の美を得ようと試みる者、したがって実際君は青銅をもって黄金に換えようとたくらんでいる者だ」というソクラテス
  • 冒頭で述べた通り、永遠の知愛が哲学である。