- 作者:義朗, 碇
- 発売日: 2016/08/01
- メディア: 文庫
『戦闘妖精・雪風』の気分から積本崩し。
新司偵こと百式司令部偵察機と、その前任機の九七式司令部偵察機の誕生から終戦までの時代・運用・編成・技術の流れを描いた一冊。
薄めながらも十分な内容。第二次世界大戦経験者目線のクラシックな記述スタイル。
視点の中心となっているのは、中国大陸でのデビューから終戦まで存在した「虎」こと独立飛行第18中隊である。
- 東京―ロンドン間飛行記録を作った朝日新聞社の神風号はキ15(九七式司偵の試作2号機)
- 独立飛行第18中隊の垂直尾翼の虎の絵は「虎は千里を往って千里を還る」という中国のことわざ由来。この図案が作られた当時、日本陸軍機は胴体に日の丸を描いていなかったという。
- 独立飛行第18中隊は、創設から1942年5月9日までの4年10ヶ月間戦死者ゼロだった。
- 第二次世界大戦末期、日本本土との交通が遮断され稼動機は全て引き上げ人だけが残されたラバウルの部隊では、残骸から百式司令部偵察機II型の再生機が作られた。この機体はトラック島からのキニーネ空輸で多数の人命を救った。
- この後に単機偵察も何度か行なっている。
- 百式司令部偵察機の設計者・久保富夫は後に三菱自動車の社長・会長となった。零戦の構造強度設計などを行った曽根嘉年、キ83の設計などを行った東条輝雄も社長となった。航空機出身でなければ社長にはなれなかったのかという程。
- この本の著者は日本陸軍のキ93襲撃機設計作業に参加していた。
百式司偵の構造的メモ
- 高速・長航続距離だけに注力して、防御機銃や爆撃等の能力は無視した機体コンセプトを作り上げるのには、要求仕様の範囲を最小限に抑える交渉力が有効だった。
- 百式司令部偵察機の後継機になるはずだった多用途設計のキ70の性能が不十分になったのは「これほどの飛行性能が出る仕様なら、これくらいの機能は欲しい」から来る一つ一つは小さな重量増の積み重ねが原因だったようだ。
- 百式司令部偵察機のキャビン部分が長いのは、偵察手席を主翼後縁より後に置いて下方視界を確保するためで、もとは操縦士のすぐ後ろに偵察手が乗るようなデザインを考えていたという。このエントリの上の方に出ている本の表紙イラストでもそのことが分かる。同じく三菱設計の後継機、キ83偵察機型では、偵察手は胴体内部に収まるようなデザイン。
- 百式司偵のアンテナ柱が切り落とされていることが多いのは、空気抵抗低減以外に、飛行中の破損が多かったため。
- 百式司偵III型後期でスピナ先端の始動フックかけが廃止されたのは、取り付け部にガタが出て振動の原因となるため。