放課後は 第二螺旋階段で

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大今良時「聲の形」読んだ

 大今良時19歳時の受賞作。4年ほど経った今、週刊少年マガジン12号(2月20日発売)に掲載。61ページの読切。内容により波紋が広がっているが、私は単純にカタルシス感情に従って感動していた。

 未整理な部分が非常に多いので箇条書き……

  • まず第一に非常に上手い作品。
    • 展開全体が渾然一体となって立ち上がってくる構成。
      • 無言のまま「こいつおもしろい‥‥!」という顔になる所、こう絵で説得する所がマンガ力高い。
      • そこへと運ぶ画面の置き方に非常に力がある。
  • 主人公の少女は物理的でなく内面に強さを持っている。少年誌のヒーロー。他者を許せる程の力を持つことを理想におく。
    • 許された者は許した者にかなわない。ただ並び立つことはできるかもしれない。可能性が残っている。
      • 作品全体がドキュメンタリ的リアリズムとは違う。身体的強度を空条承太郎などと比べても無茶なのと同様の現象が内面的強度にもある。
  • 出し切ったところで分かり合える喧嘩番長ノリ有。
  • 障害やいじめについて特に具体的なコメントがないのは「自分自身を操るということ」「人間集団と対峙する際の困難」の具象化で、後から来たものであるため。
  • マルドゥック・スクランブル」観が少し変わった。
    • 「自分自身をうまく操れていない感覚」を起点にして「自分自身を乗りこなせているとはどういうことなのか?」を経て、さらに一段掘り下げると「自分が自分に有用性を感じるか?」となる。
  • マルドゥック・スクランブル」をコミカライズするならこの作者以外に全く考えられないくらいに密着した2作品になっている。
  • アフタヌーン四季賞の小冊子なら月刊誌なので店頭に1ヶ月保つけれど、週刊少年マガジンでは1週間、掘り下げる時間が足りない……
  • この作品は連載しないで欲しい。想像させることでしか埋まらない種類の隙間(論理的には埋められない)に触れるしかない。
    • 反響の大きさからおそらく連載化されてしまうのだろう。