1944年8月、フィリピン・マニラからパラオへの輸送任務にあたっていた 5500t型軽巡 名取 は、フィリピン東沖300マイルにおいてアメリカ海軍潜水艦の雷撃により撃沈された。救助の望めない戦火の海を生き残りの乗員達はカッター(短艇)で二週間ひたすら陸まで漕ぎ続け生き延びる。
著者はその際の指揮官のひとりで、通信長の中尉として数々の指揮統制にあたった。題の「先任将校」は航海長の小林栄一大尉である。
この航海は冒険そのもの以上に、それを可能にした海軍兵学校の教育と生活のすばらしさが印象に残った。戦闘航海に直接は役立たない海と星と大気に関する知識によるアイデア、海軍におけるただ一つの士官学校出身であるという同窓生感覚とそれによるディスカッションのオープンさと決定力、柔軟な指揮統率のセンスなどである。私はすべてを独学で学び同窓生も持たない。だから永久に届かないこの感覚に憧れる。
教養教育はそれが本質的に持つ有用性の予測不能により昨今大幅に削減されているが、しかし未来もまた本質的に予測不能でありそこで生死を分けるものとなる。
細々箇条書き
- 著者は 重巡 古鷹 → 軽巡 那珂 → 軽巡 名取 と三度の沈没を経験し生還した。
- 海軍常識ではカッターは決して沈没しない!
- カッター三隻だけで195人が乗っての航海。寸法感が分からなくなる。
- カッターは帆走も可能。
- 夜間も星座の動きで時刻と方角を知る事が可能。
- 艇と艇をつないで洋上で停止する際は、綱の長さを波長に合わせ波の頭と頭の上同士になるよう調整し不要なテンションを避ける。海に逆らわない。
- 肉体的苦痛は伝染しないが、精神的苦痛は伝染する。
- ごく序盤に行方不明となる内火艇と救難機から投下されたゴムボートはアメリカ海軍に発見され捕虜となる事で生還した。戦闘海域の船密度は高かった。
- ヒナツワン水道という地点で陸を発見するがどこなのかよく分からない。
具体的な内容まとめに関してはこのページが完璧でいう事なし
M030 松永市郎
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