戦後日本の戦車開発史―特車から90式戦車へ (光人社NF文庫)
- 作者:林 磐男
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 文庫
World of Tanks に日本ツリーが実装されることが決定し、Tier8 に61式戦車、Tier9 に STA-1(61式戦車の試作一号車。車高がきわめて低くエンジンボンネットだけが一段高くなったデザインがレオパルト・プロトタイプAを思わせる)、Tier10 は STB-1(74式戦車の試作型)が登場すると知ったためこの本を読了。
同著者の「タンクテクノロジー」を事前に眺めていたため理解はかなり助けられました。「眺めていた」と書くのは、あまりにもハイレベルな内容で理解が全く追いつかなかったためです。
専門書を除けば、高機動型の装軌式車輌を設計するにあたって何が求められるのか、本書を読んでいるか否かで理解がはっきり分かれるでしょう。
著者は三菱重工の戦車駆動系の専門家のため、その視点で開発史が描かれます。同僚の誰それさんに助けられた、先輩の誰それさんに助けられた、後輩の誰々君ががんばってくれた等の記述が多く、大企業の技術と人間的繋がり、必要な気遣いはすさまじいものだと実感させられました。
20世紀中盤における日米技術レベルの隔絶
本書を通して思い知らされたのがこの点。
アメリカからの貸与車 M24チャーフィー 駆動系が持つ要素
- 流体変速機を使ったオートマチック変速
- スムーズで損失の少ない旋回(クレトラック・ダブルディファレンシャル)
- 回転慣性モーメントの少ない高レスポンスな駆動系
これらが完成に至るのは74式戦車の頃になってのことです。1940年代設計車に1960年代でようやく追いつく。この数字は自動車産業史の分析をテーマにしている「能力構築競争」で見た展開とも概ね一致しています。
変速機の開発は車両が大重量高負荷の上に走向装置まで組み込む必要があるため特に難物で、ポルシェ・ティーガーの電気駆動方式も笑えません。重戦車を素早く開発する手法として最適に思えます。
基礎的な部分においては、大戦中の車両に使われていたシールは油が漏れて当然、Oリングは使用されていなかったと書いてあるのですがこれでは各部の微妙な緩み・がたつきで性能をひどく低下させていたのではないかと思われます。
転輪のゴムなどもアメリカ車は接着。その技術がない日本車は挟み込み。
車両の作風
M4シャーマンはボールドウィン・ロコモーティブ社とアメリカン・ロコモーティブ社製で鉄道の感覚、M24チャーフィーはゼネラルモータース製で自動車の感覚があるという。M4 独特のボギー式転輪は鉄道での経験を生かすため?
重要駆動部品・履帯
この著者の最大注目点の一つは履帯です。大戦型日本戦車がフロントドライブになっていたのは履帯の外れやすさを嫌ってのものでしたが、これは履帯横剛性の向上で解決できたという。ダブルブロック構造、ゴムブッシュの入ったウェットピン等々‥‥
アメリカ戦車のスタイルが固まった感のある M4E3E8シャーマンイージーエイト などはダブルブロック・ダブルピン構造。
フロントドライブの IV号戦車 の履帯が細いのは整地路での抵抗低減を意識してのもので剛性は重要視されていない?
リアドライブの T-34 に用いられていた幅広履帯はそれを意識しているか否かはともかくとして剛性向上に役立っていた?
今の MBT でも高性能かつ複雑高価なダブルブロック・ダブルピンを必ず採用しているわけではないようです。(74式はダブルブロック・ダブルピン、90式で簡略化されてシングル・ダブル、チャレンジャー2はダブル・ダブル、メルカバMk3はシンプルにするためシングル・シングルであるという)
履帯で浮航中推進するには?
履帯の上半分を隠すようにすれば推進力が発生します。フェンダー部が爆風などで吹き飛ばされそれに気づかず水面に進入してしまうと身動きとれず?
波高的には乾舷の二倍にまで耐えられるらしいですが沈没しないのが不思議です。
戦車設計の目標設定
74式戦車の仕様決定時、MBT70 と比べてどうかという点が出ています。この車両は量産に至りませんでしたが、戦車史的には最重要の部類に入りそうです。レオパルト2 と M1エイブラムズの母体というだけに終わらない。
74式独特の油気圧サスも MBT70・Strv.103・T95(アメリカの試作車)で採用されたため検討されたもの。
目標として対応するのはおおむねこの通り。
- 61式:レオパルト1
- 74式:MBT70 と T-55
- 90式:レオパルト2
Ogorkiewicz の名を紙媒体で初めて見る
未だ読み方不詳のこの人物は高評価のみ見かけて具体的情報は長く不明だった。NATO の工業アドバーザリーグループにいた研究家(?)であるという。