「チャーリイを殺す‥‥」
だれ?
期限は今のところ、つけない。だがいずれ通告することになるだろう。―チャーリイを殺す‥‥
だれだ、君は!
大学都市での厳重な警備にもかかわらず全く察知できないままに殺人は行われた。一体どうやって?しかしそれを察知する手法さえ破壊されるのである。この謎を解き明かした結果さらなる核心を掴むために南米へと調査は進む。
人類は地球上の王者としての地位を得ているが、果たしてそれにふさわしい徳(アレテー)をそなえているのか?鳥獣の世界から離れた唯一の種として未踏の道を進んだ人類からさらに離れて「最終王朝」を築き「継ぐのは誰か?」
今作はひたすらに予想外、フレームの外から外へと攻め続けるかのような前半のSFミステリ展開が非常に面白かったですね。人間が持つ認知システムの限界外から来た「存在」の行動とそれに対する対応から得た新たな認識の、さらに外から脅威が現れ続けるのです。そしてこの発想の奔流に対抗する力が学生らしい考察と討論の積み重ねであり、作中世界設計全体レベルでも多大な投資が行われている点は1968年作品らしい所です。
終盤の南米文明における通信能力に関する謎解き考察から、情報型超人類が旧人類ではなくコンピュータネットワーク側に時分割で潜り込む描写はリアリティを持ったプレ・サイバーパンク的世界観で期待が高まったのですが、始まってまもなく物語が終わってしまい、本当に勿体なかった‥‥
細かな着想レベルについての感想
- ニューヨークの描写が魅力的。20世紀中盤の視点から来なかった古き良き20世紀末を回顧するという視点が1970から80年代の未来観とも繋がって、すべてが今ではない構図から切り出される欠片は自然と一つ一つがきらきらと輝いて見えるのです。
―セントラル・パークの馬車、五番街のショー・ウィンドウ。タイムズ・スクェアのポップコーン売り、ダウンタウンのイタリア料理店、国際貿易センタービルの最上階の明かりを消した "クラブZ"で、カクテルグラスをつまみながら、ヒルデガークリンの"ヤンキースタジアム"とあだ名をつけられた TV・シティ・ショーホールで、頭上をおおうドームにアストロ・アイドホールで投影される火星の夕景の下で、宇宙船パイロット出身の隻脚の吟遊詩人、ビーチャム・サンドクレインの「青空を呼ぶ」をきく時、かつて近代と現代の接点にそびえていた、この世界最大の都市の、古びた魂が、そして、かつてこの都市に生きた幾千万の人々の生活の息吹きが、あたたかく、なつかしくよみがえり―それは深沈と心にしみわたり、魂をゆさぶり、旨の奥底から、痛みにも似た、感傷の涙をしぼり出されるのだ。CBSの巨大な眼のマークは、今でもなおうつろにこの街の上に見ひらかれ、ロックフェラー・プラザの噴水は、しとしとと水蓮の上にふりそそぎ、バドワイザーも、シュヴェップも、コカコーラもドム・ペリニヨンも、―ぼくたちのじいさんの飲んでいたような飲物を、今でもぼくたちはこの街で飲むのだが、それら一切のものをふくめて、ニューヨークは過去の街、回想の都市だったのである。
- 「元宇宙パイロット」これは普通。ここで元宇宙パイロットで隻脚の吟遊詩人が20世紀の情景を残したままのニューヨーク、 夕日の中で火星を思う歌を歌い、学生たちは「専門家」同士を結びつける核となっている「賢者」に会い考えを深めるというシーンは過去のものとなったヒッピー時代の思想が持つ美しい面を見事に描き出しています。
- アメリカ料理の特色について「フランスや中国のような芸術性はないが、それは開拓時代から一気に工業化時代へと進んだためであり、世界で最も進んだ農業国としての素材の品質を活かした素朴な調理法が最適ですばらしいものである」という歴史側からの描写法は美食に興味がない人間にも引きつけられました。
- ネット時代以前の作品のためか、インターネット生命体的存在の描写が予測レベルで抽象化されたまま普遍性を保っているのが良い。