11月某日
最近ネット周りでは日記ルネサンスが花開いている。これは読者にすぎない私から見ても確かに面白く、今はある種の文学として、数年後には記録あるいはアルバムのように残り特に素晴らしい文化だと思う。
しかしながら、私自身が日記を書くことについてはどうにも気が進まない。日常の希薄さを否応なしに自覚させられるからだ。ここで区切りを「某日」とすることで日々の狭間を溶け合わせるまとめ書きが解決法として浮かび上がってくる。これなら何とか書き続けている未来図を描くこともできる。空白は埋まるがままに消えていく。