この映画を楽しんだ自分が楽しいくらいの状態。
誰でもここまで面白いわけじゃないヱヴァ破・属人性のある楽しみ方
最低限でもTVシリーズと旧劇場版に嵌って消化した感がないと劇中で何が行われているのか分からないと思います。
それは当然として、別系統をおさえるのなら鶴巻和哉監督作を見ていると一段良。
自分の場合は、ほぼリアルタイムでTVシリーズ・旧劇場版で完全燃焼・彼氏彼女の事情・何でもエヴァのパクリ時代・アニラジの時代・海軍兵器・旧ソ連メカ・フィクションメカ・鶴巻和哉の「フリクリ」・「トップをねらえ2!」とそれを見るための土台としての「トップをねらえ!」と「少女革命ウテナ」・昭和特撮・昭和映画・昭和音楽をあらかじめ体験して予習してました。
例え話で、著名な陶芸家が5分程で絵付けした作品を数百万円で売ることについて問われて「これを作るのにかかった時間は、今までの一生50年と5分だ」と答えるというものがありますが、それに近い構造です。
「上映時間は13年と108分」
あまりにも面白すぎて気持ちが悪くなる映画は生まれて初めて
今作のアクションシーンやクライマックスでの面白さは「熱湯と氷水を同時に浴びせられる人体実験にかけられている感じ」
新しくなって日本アニメの頂点にあると言えるくらいの格好良い描写と、旧作から残っている要素やベタすぎて気恥ずかしさで笑っちゃうような演出が組み合わさって「くすぐったい」
鶴巻和哉監督作はくすぐったい。
「フリクリ」も「トップをねらえ2!」もそう。目一杯気持ちよくなるけれどのめり込ませはせず、ほんの少し冷めてあそびを残してる。
バスターマシン三号を動かすのはきわめてシリアスだけど、ドゥーズミーユを動かすのにはユーモアも必要になるのに近いずらし方。
だから、凄さに感心して、同時に笑いそうにもなって、笑うに笑えないから、行き場がなくなって泣いてしまう。
新世紀エヴァンゲリオン featuring 鶴巻和哉
旧作を元ネタにして鶴巻和哉がほとんど全てを作り直したと思えるほどに、今までの鶴巻和哉監督作の延長線上にある印象です。
パンフレットでは旧作を組み直すにあたってきわめて分析的なインタビューに答えていて、評論系blogのうち99%までが存在意義を失いそうなほど。
ネットで読める別作品でのインタビューとあわせて見て、その緻密さ生真面目さに感心して、更に一段と鶴巻和哉ファンになりました。
You can (not) advance.
この英サブタイトルは「また面白がってるなんて成長してないな(笑)」という意味で解釈したけれど、今が楽しければそれでいいっ!
王道の時代?
少し前の感覚では変化球とされるような描写や展開でも、時代のほうが書き変わって直球判定が出るようになって、異様で迫力がある展開の載せられる量が一段増してます。
『破』は「ベタ」とか「王道」と言われるようになったけれど、こんなにはっきりと痛みを感じて憂鬱になって血や内臓が飛び散っても王道なんて、少し前の社会通念上では無いでしょう。それが通る下地を作り上げた者自身が使うからこその強さです。
応援したくなる子供達
破滅的な旧シリーズラストから10年、エヴァパイロットの子供達を見ていると「今度こそ幸せになってください。がんばれ」と見守り祈るような気持ちになりました。
私、そんなに視点が上がったんだ。
『耳をすませば』を見て自殺→『時をかける少女』いいね→『とらドラ!』面白い→『ヱヴァ破』素晴らしい
blogを書いてない間に『とらドラ!』のアニメを楽しんだりしてました。
そのうちに、青春属性弱点→無効→吸収と進化しているのに気がつきました。
高校生の自分よりも高校教師の自分のほうに実感を持ちやすくなったせいみたい。このへんは意識的に性格を老化させた効果が出てます。
高校生に屈託感じるよりは先生感覚で見守った方が楽しい、ということで。
感情移入といえば碇シンジと思っていたら綾波レイになっていたと思っていたら真希波・マリ・イラストリアスになっていた
「他人を傷つけてまで何かを成し遂げるなんて意味がないよ」(シンジ)→「戦うという場にしか自分はいられない…」(レイ)→「せっかくやるなら好きになって、面白かったらそれでいいっ」(マリ)
感情移入キャラを考えて探してみたら、自分の性格がこんな感じで移行してるのに気がつきました。
面白くなるためなら何でも使う。踊らにゃ損。危機も「死んじゃうところだったにゃー」で済ませる行きすぎた軽量極地戦特化型気質。
のめりこみはするけれど挫折転倒時のダメージが自意識の軽量化で低減されてる。第四世代型オタク感覚?
「Never knows best」*1前提で better を狙っていたら段々こうなっていくよね、という感触。
現実だったはずの昭和をサブカル感覚で遊びにしたり、昔からのおなじみキャラを「LCLの匂いがする」とからかってみたりするところも良。
そして何よりも「さっさとぶっ飛ばして新しい話を進めたい!」という気分に合っている(笑)
旧TVシリーズ終盤についてどう思っていたのか短くまとめると…
世界でたった一人の親友を「人ではないもの」と言われたため自ら手に掛け、あまりのショックに気が狂ってしまったけれど治ったところで完結。
民族紛争・宗教戦争のSF版に巻き込まれた個人についての話という解釈。
旧作映画についてどう思っていたのかというと…
「終わった。人類もろとも作品世界全部終わった」「自分を完全に受け入れてくれる存在なんているわけがない」「決定的孤独」「それでも生きていかなければならない。どんな世界になってしまっても」ということで、映像から受け取ることがもう残らない極北に到達して完全燃焼。
旧エヴァ体験で起きた歪み
私が『新世紀エヴァンゲリオン』という作品に初めてふれたのは、伊藤潤二系ホラーが好きな友人から借りた夕方放送版を録画したVHSテープでした。
そのテープには録画抜けがかなりあり、第6話「決戦、第三新東京市」から始まり、第10話「マグマダイバー」で中断、第16話「死に至る病、そして」で再開、それからラストまでとなっていて、初期の友情編や前半の活劇編の相当部分が欠落していたので、随分ハードな印象がついています。
残りは深夜再放送やレンタルで補完しましたが、どうしても一段印象が薄め。
あらすじ・サブタイトル参照サイト…
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/2238/eva/prologe/wa.html
二次創作と旧エヴァ体験
リアルタイム世代の人が二次創作を結構話題にしているのは、概ねリアルタイム世代と言ってもいい自分にもよく分からないところ。地方人で補給が悪くてもっぱら商業作品を見ていたせい?
「旧シリーズ完結のすぐ後に出たものといえば、二次創作じゃなくて『フリクリ』じゃないの?」って気分。
予告編については…
「『Q』は未だ1%も出来上がってないから覚えても無駄」と判断して見たので全然覚えてない…
Qは破を越えられるのか?というより続けられるの?
旧TVシリーズ以来の10年以上で積み上げた貯金を今作一つに全て注ぎ込んだくらいの凄まじさで極限状態にまで話を進めてしまったので、これから先どう続けるのかちょっと想像がつかないです。
ただ、仮にQがひどかったとしても、破が滅茶苦茶に凄かったという事実は揺らぎません。
揺らがないはず…
*1:フリクリ 鶴巻和哉監督 オーディオ・コメンタリー第一話部分参照