3月11日に発生した東日本大震災について自分の中で整理するため、手元の日記とtwitterを組み合わせエントリ化しました。
(今と考え方が異なる部分等も、当時の感覚を残すためにそのままにしてあります)
被害のない地域でも動揺はするのです。
3月11日
九州新幹線開通イベントを翌日に控え、ブルーインパルスが博多駅上空でリハーサル。
直下の街はオフィス街。たいへんな賑わいで、ビルの窓から、屋上から、大通りの真ん中から、空を見る人が多数。
ブルー到着より一瞬速く来る歓声。
「かっこいい!」「キャー!」直後キュゥンと高く短い音で通過するT-4。
フライトシミュレータの『IL-2シュトルモヴィク1946』に凝っている私は、飛行の精度に感動。横一直線の編隊が自分の目の前を通過する数秒のうちに四角形に組み変わる。
この動画は声や音が当時の雰囲気をよく表して特に好印象。
これが12:45頃。
15:30頃かかってきた電話で災害発生を認知。その直前に地面がかすかにピン・ピンと揺れたような気がしないでもない。(後日情報で震度1程度と判明)
16:00頃TVで初めて映像を見る。
10m以上の津波発生。クルマも、家も、船も、重さを無視して衰えずに進む…!炎さえ上に乗せて…!(宮城県名取市のニュース映像)
福島の原子力発電所が、冷却用の電力を得られないという。バックアップのディーゼル発電不能。電源車が移動中。
TVは明らかに人が死んでいるところが映ったVTRを流せないせいか同じものをループ。
7.5mを越えた波で、データが取得できないという。何度来たのかも分からない。
夜、仙台の街が燃えている。600人の子どもが屋上にいるらしいが、火勢激しく接近できず。
23:00頃、気仙沼の街が燃えている。14:46に発生した地震と津波。それがニュースになったのがやっと23:00とは一体!?4×5kmの広さで燃えている。陸上自衛隊のヘリ撮影。
仙台で一度に200〜300の遺体が見つかる。一体どういう画なのか?津波の死者は津波が危険で近寄れず確認できない。
自衛隊の対策は地震発生後4分で始まったそう。なんという速さ。政治的交渉の要素が無いため、怪獣と戦うのは災害であって戦争にはならないというのをこれで理解。
余震が多すぎて、どの速報の字がどの揺れに対応しているのか分からない。
3月12日
4:00ごろ長野県で震度6強発生。日本沈めるために揺れてるのこれ?
4:08ごろ茨城県で震度4発生。速度が恐怖。
4:16ごろ長野県で震度3発生。また?
BBCもCNNも津波一色。フランスがリビアの反政府・反カダフィ派を承認しても津波優先報道。
原子力発電所のECCS(非常用炉心冷却装置)が停止。これ無しで耐えられる?
5:43ごろ、ついに夜が明ける…死者行方不明者は既に1000人。
新聞はディザスターものの小道具のようになってしまった。
16:30ごろ、福島第一原子力発電所で爆発。気分が悪く、神経はピンと張っている。
地元からも、医師が航空自衛隊のC-1で出発。
被害レベルが高すぎて未だに何の情報もない地域が…生きている人いますか。
FLIRは夜間でさえ人命救助ができるすばらしい発明。
id:hyakutouさんが仙台へ行っていて、松島海岸行きのバスにたまたま乗らなかったために無事…九死に一生!
3月13日
マグニチュード8.8から9に修正される。世界史上第4位。
緊張感からくるアドレナリン過多状態で疲労。
地質学者は完敗を感じている。M7.2程度の想定だったという。
悲劇的な報道の連続で、音楽のない世界は寂しすぎて耐えられない。
F-4ファントムIIが出現するまでアメリカ空軍の戦闘機が防空専用だった理由が実感として理解できてしまった。いま、死者1万人以上と確定。
本土防空戦で弾切れになるまで戦った後、体当たり撃墜で戦死したパイロットたちの思考を考えた。
街と記憶もろとも人命が奪われるということが見えてしまった。その後の世界。広島、長崎、ドレスデンで生き残るということは…
大破壊の中でも戦力を届けるために強力な空挺軍を持つソビエト…
東京電力が給電制限を開始。交流60hzに統一できないの…
3月17日
アメリカ軍が仙台空港の修復に成功。日本側は復旧のめど立てられなかった。最低限の距離を地上部隊が確保して、C-130が着陸。重機を下ろして作業完了。
娯楽特別番組魔法少女まどかマギカの10話を見る。シナリオに隙が無い。画がかっこいいし気合入ってる。とても面白い。暁美焔(ほむら)に強く感情移入。どうやってこの状況を解決するの?
3月18日
精神的疲労が限界に達する。死者1万5000人?すごいね。それで?という麻痺状態。
死者が見つかった場所にはチョークでXの印をつけているそう。それが集まっている地点を見るのはつらい。
原子力事故終息作業は護国の鬼になれと間接的に言っているようで非常に気分が悪い。
3月19日
原子力発電所から3kmの距離で水素爆発を見た病院職員が、粉状破片散る中で「もうすべてが終わったね」と皆半泣きになりながら患者の移動を続けた話が終末的…(生命にかかわらない程度の被曝)
娯楽特別番組として見た魔法少女まどかマギカのOPテーマにあった「何もかもが歪んだ世界で唯一信じれるここが救いだった」という歌詞が中学生くらいの時の感受性を蘇らせる。
3月20日
第二次世界大戦後半のヨーロッパのように、軍の補給車両が渋滞しているらしい。
3月22日
1970年の大阪万博にあわせて発行された公式ガイドブックには「最先端技術、原子力発電を発展させて未来へ」という電機企業の広告がいくつも入っていて、まさにその時作っていた原子炉が今こんな最期になったと思うと悲しい。
ニューヨーク・タイムズの東日本大震災写真集を見る。光と影・色彩・構図のコントロールが良く美麗で劇的。
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html
3月25日
朝焼けの逆光を受ける大破した原子力発電所のシルエットという一生に一度も無いはずの破滅的映像を見てしまった。
3月28日
眠るときと目覚めるとき、状況が悪くなっていませんようにと祈る習慣がついた。祈りに実際的な効力はないけれど、自分自身の精神安定は守れる…
交流60hz地方でも全国チェーン企業ばかりのロードサイドは電力消費自粛でメチャ暗。
3月29日
日本では決死の人命救助を行った民間人は「紅綬褒章」というのを受けられる。どれだけのモノを以てしても釣り合わせることができないとき、勲章があらわれる。せめて勲章を受けられますよう。
どこからかAMラジオが聞こえてくる…という映像表現が好きである。
4月4日
夜もヒッパレの再放送をテレビで見る。1998年だけどバブルって感じ。断層の向こうの世界。
4月7日
個人的に大きい問題が多数あり精神的に疲弊。
地震、原発について最悪すぎて言うことがない。
この災害をきっかけに日本は日本のイニシアチブを失う?災害支援を名目にしても、外国軍が他国内で自律的に活動するのは侵攻と扱われるそう。アメリカ軍などは自由行動の許可をうけているはずだけども…?自力で自体を収拾できない国家って…?
福島第一原子力発電所建設時の記録映画がネットで見られるのを知る。
工業・産業|配信映画|科学映像館
原子力と全く無関係な『川崎航空機』でT-33Aがライセンス国産されているのを見る。
4月8日
原子力発電所の給電冗長性は、2つの電源ユニットを1つのコンセントに刺しているコンピュータのよう。一度にダウンする。どこまで遡れば「1つのコンセント」から外れられる?
4月9日
自分との繋がりがない土地で、地図上でのみ認識してgoogleパーソンファインダーに打ち込んだ避難所の映像を偶然見かけて、心的距離感が変に詰まってしまった。
4月11日
原子炉に注水するため、アメリカからドイツ製のコンクリートポンプ、プツマイスターM70-5が到着。ロサンゼルスとアトランタから1台ずつがAn-124ルスラーンで飛来。
70mアーム、車体全長21.4m、10軸のこの車両は通常どういう工事に使っているの…
余震激しく、M7クラス、震度6弱。いわきでがけ崩れが発生して2人死亡。
原子力事故はレベル7に達する。これはチェルノブイリと同じ。流出した放射性物質のベクレル数が基準値以上にまで積み上がったため。積み重ねディザスター。
「団結」が災害対応のキャッチフレーズになっているが、補給要請情報の多さと放射性物質の処理で人の心はバラバラになり始めている。無影響地域の自分はその余裕からか、分裂などしている場合ではないと思う。
(一ヶ月経過したためここでエントリ終了)