放課後は 第二螺旋階段で

筆者の気の向くままに書き連ねアーカイブするクラシックスタイルのblog。カテゴリタグによる分類には力を入れております。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」


愛国心とは


ベルクソンは人類愛と愛国心は別物だと「道徳と宗教の2源泉」で書いた。愛国心や家族愛は対象に制限があるため排除の要素を含み、殺人や戦争に利用(悪用)できる。善に見えるものが悪に使えるといった逆転の要素を含んでいる。


戦争に使う場合は相手(敵)を犯罪者や悪に(報道や宣伝によって)するのが愛国心を使うための条件になる。
ヒットラーでさえ正義と防衛を唱えて戦争を始めた)
利益や略奪のための戦争でも(通常脅威の捏造によって危機を煽り)敵を悪に仮想して正義の戦争が始められる。それは、国民や兵士を使うために必要だから...


兵士や国民を使うための愛国心と(政府推奨の愛国心と)まともな愛国心の分離が必要...
(愛するのは土地や郷土を含む人々全体で利権しか考えない政府じゃない。)


ここまで書いてもまだ不足している。
普通の人々には、二次的な道徳(命令型)も一次的な道徳(慈愛や人類愛のような)を仮装されるため真実が非常にわかり難くなってしまう。


政治家の口から出る言葉と実際の真実は著しく違う。
(政治は言葉の意味のブレを悪用するものなので普通の人間には意味が解らなくなる。聞いていて通常受ける印象と語尾や言葉の端で内容をひっくり返したりするため、実際の意味が違う。)
(普通、言葉の意味が一つではなくて多数あり、一つに見えても広がりがあるのを悪用する)
2004.01.17...

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