放課後は 第二螺旋階段で

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「毎日は笑わない工学博士たち―I Say Essay Everyday」 森博嗣

毎日は笑わない工学博士たち I Say Essay Everyday
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 単に情報を伝達するだけなら小説よりエッセイのほうが効率が良いというわけで次々読んでいる森博嗣日記本シリーズの中で、年代的に最も古い1996〜1997年分。1996年って今から10年も前になるんですね!ネット日記という分野がそんなに長く続いていたということにおどろき。
 日記本は内容の取捨選択が楽で速く読め、文章作るのも楽なので二重に楽々。
 今回も、以下特に気になった日の感想。ここで各日付に付けられているタイトルは本に掲載されているものではなく、ぼくがblog用に付けたものです。

1996年12月3日 「名前」

 小説の登場人物の名前はすべて実在の人物からとってつけているとのこと。「何をする人なのか」さえ固めれば後は省略気味という大雑把さは何となく「オブジェクト指向」? 
 やたら力を入れているキャラクター「真賀田四季」の由来は、森博嗣が大学の時副部長をしていた漫画研究会の会長だった女性からとったとのこと。そういう立場だったら、ああいう描き方して大丈夫なんでしょうか…?何となく気になる。

1997年1月29日 「作家の漫画」

 この日には京極夏彦が書いたお化けのイラストが付いたサイン色紙の画像が掲載されていて、これが上手い!最近の作家って漫画が上手い人多いのでしょうか?多才さに驚き。

1997年2月8日 「続・作家の漫画」

 この日には森博嗣が描いた京極夏彦の漫画似顔絵が掲載されていて、これが上手い!最近の(以下略)
 むかしの少女漫画っぽい線が細い絵で、「スカイ・クロラ」シリーズの文体から受けるイメージにすごく近い。

1997年2月23日 「10年前のオンライン生活」

 ミステリの感想を読むためにfjを見る場面があるんですが、いま趣味の分野でfj見てる人ってどれくらいいるんでしょうか。そこで何となく時代を感じます。
 ほかにも、ISDN加入しようか迷ってたりしていて、光が珍しくない今からすると信じられないくらいのノンビリ時代。

1997年4月20日 「芸術家と評論家」

 誰かが地面に円を描いたのを見て、「綺麗な円だ」と思うか、「綺麗な円を描くのは大変だったろう」と思うか二種類の感動があり、前者は「読者的」で後者は「評論家的」といえる。
 大抵はたくさん読んでいくうちに後者に移行していくだろうけれど、あえて前者にとどまり背景や労力を忘れて他者として作品を見続ける力は芸術家に必要だろうという話題。
 blogで評論的な文章を書いている作家志望者って結構多いけれど、それを書くときは作者ではなく読者の視点になりきれているのか考え続けましょう(なぜか提案調)

1997年8月15日 「高校野球とゲームバランス」

 森博嗣高校野球について「下手なプレーは見たくないので興味無し」との旨。
 自分は、選手たちが完璧ではなく弱点を突かれたりすると崩れることがあるのと、後の無さが面白いので、高校野球プロ野球より熱心に見るくらいなんですけど、これは感覚が全然違っていて面白い。
 自分のおもしろがり方はサディスティックなところとマゾヒスティックなところがある見方だとも思う。
 何もない自分より高校球児が年下なことを思い知らされて悲しくなるという面もあるし。

1997年10月3日 「見た目=スタイル≠デザイン=設計」

 タイトル通り。デザインは見た目じゃないという考え方はもっと定着して欲しい言葉の使い方だと思うので、勝手に宣伝。