放課後は 第二螺旋階段で

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敗北に抱きしめられて / ぼくが映画を見ていないように見えた理由

 最近の記述内容から、映画そのものに飽きてしまったのですか?という質問をされたのでそのことについて一段詳しく書きます。
 まず、映画を見る本数そのものが減っているのは事実です。2時間という一塊りの時間の間目も耳も両方受信に使うため、優先順位が下がりやすいというのがその主な原因です。

 それに加えて、最近映画に限らず何も書けなくなっているのは、自分の思考レベルの低さ、読みの浅さを強く感じて打ちのめされて、そんな自分が書いている文章は無価値ではないのか、こんなレベルで納得してしまっていいものなのかということの重みに押しつぶされているためです。


 よいものを見て、読んで、そして書くには、せめて大学生になって、他人から何らかの指導を受けないとひどく難しいと感じます。独力では、今のように穴に落ちてしまう時があって、それっきり脱出できない状態になってしまう。いわゆる「高学歴」な学校はこういった成長の面で優れていることは間違いないだろうと感じています。


 えらい哲学者は「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と言ったけれど、こんな言葉を知らなくても、語りえぬものについては、沈黙、つまり何らかの価値があるデータ交換が一切無い状態には公理のように到達する。
 語りえぬものについて語っているときは、そう見えているだけで実際には何も語っていない。それは無駄なことで沈黙にさえ劣る。