放課後は 第二螺旋階段で

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Q:2サイクルの航空用エンジンが計画のみも含めて無いのはなぜなのでしょうか
なんでもありの第二次世界大戦中のドイツ等でも作ろうともしなかった訳は?


A:2サイクルの航空機用エンジンは実際に試作され、ドイツでは実用化されています。
Junkersは、第一次大戦の頃には既にその形式のエンジンを試作しています。


でもって、実用化されたのは、Jumo205で、これはJu-86爆撃機のエンジンの一つとなっていました。但し、この方式は、熱負荷の問題があり、ボアの大きさの決定が非常に難しいものでした。
これは2シリンダー分の熱をライナー1本で引き受け、4サイクルに比べ、4倍の熱量を発するのです。特に排気の熱量は大変なモノで、これを上手く押さえ込まないと、シリンダーへの熱流が過大となり、過大なオイル消費、その急増に伴うエンジン寿命の短縮、遂には焼き付きに至ります。

また、これはディーゼルエンジンだったために、軍用機に採用した場合、回転変動が大きく、編隊飛行の場合にその維持が困難になっています。
更に冬期には始動不良の問題が発生し、ガソリン混入の軽油で始動する状態で、現地改造で回転数を上げたら、ピストンのファイアプレートの亀裂、排気温度増大による排気管折損などの問題も発生しています。



ちなみに、Jumo204の話ですが、操縦士には嫌われ、「虎のように陰険な奴野郎」とまで言われていました。



このエンジンの「成功」に幻惑された国々も多々あり、チェコではWalterがJumo205のライセンスを購入し、国産では、Zbrojovkaが1931年に2スト9シリンダエンジンを試作しています。
フランスもJumo205のライセンスを買い、Peugeot子会社のCLMが生産を準備しますが沙汰止みとなり、ソ連は、Pe-8の動力として、Jumo205の改良型M-40Fを使用しています。
日本は、東大航空研究所と三菱がその試作を行っています。



また、英国は独自に2ストロークエンジンを開発しようとしていました。
空軍省からの提示で、Rolls-Royceがクレシーというエンジンを開発しています。
これは2ストローク、スリーブバルブ、層状燃焼式ガソリンエンジンでしたが、1930年に原型の単気筒を見せられたRoyceは一言、"not bad,but enough!"と述べたそうです。
で、1935年にレーダー網を設置する防空委員会で、これに連動する迎撃機の仕様を決める際、小型、軽量、高出力が必要とされ、これにクレシーが採用され掛けました。

しかし、このエンジンは熱負荷に悩まされてトラブルが続出し、1942年に試作が完成したものの、以後の製作は中止されています。



ただ、英国は1951年に至っても、Napierが、Normadエンジンを開発しています。

これは、Shackleton哨戒機の動力として計画されたモノで、液冷2スト3,046馬力のディーゼルガスタービン複合エンジンで、プロペラと3段の排気タービンを回し、このタービン軸が12段の軸流コンプレッサーを回して圧縮した空気をエンジン本体に導くと言う代物でした。