放課後は 第二螺旋階段で

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「日本のオートバイの歴史 二輪車メーカーの興亡の記録」 富塚清

 オートバイは地上を走るもの、飛行機は空を翔るもの。
 活動領域は違うが、機械の構造は全く相似であり、双児の兄弟にたとえられる。
 しかも不可欠である一点は、動力がたえず活動していないかぎり、自立をしていられないということである。
 つまり動力の申し子ということである。


 中川裕之海猫沢めろん)の「零式 SFマガジン版」冒頭で引用されていたこの文章が、淡々とした本のタイトルに反して異様に熱いもので気になったので、メーカー史にそれほど興味がないのに読んでみました。


 著者はこの文章からも想像できる通りやたらに熱い人で、明治時代に日本で初めてガソリンエンジンを作ったと云われる人に会ったときも「本当にあんたが最初でしたか?」としつこく問いつめて「おれ以外に誰がやったというんだ」と怒られてまで確認を取ったりしています。
 そんな2ストエンジン専門家の著者が、120社を数えた二輪車メーカーがわずか4社に淘汰されるまでを回顧する。
 「自分は技術者で文章力は無い」と書いていますが、体言止めの使い方や動詞の言い切りが上手く、激動の歴史の躍動感が非常によく出ている一冊です。
 ヒストリック・オートバイに僅かでも興味があるのなら楽しめると思います。


オートバイの紀元前

 大正時代には、バイクモーターとかいう、タイヤの中心にエンジンを置いた小さな一輪車メカがそれなりに輸入されていたらしい。
 これは自転車や台車に後付けして動力として使う。
 後付け故にバランスを取るのが難しく、出力ももわずか1.5〜2.5馬力程度でほとんど使われなかったとのこと。
225馬力のガソリン一輪車 - Engadget 日本版
 バイクモーターはこれをずっと小径にして、輪の中にはエンジンや変速機しか入っていないようなデザイン。


工業初期の定番手法は・・・・・・

 第二次世界大戦後すぐに雨後の竹の子のごとく現れた日本のオートバイメーカーたちは、技術的に先行していた欧州車を次々とコピーしまくります。
 戦前から続く日本楽器製造という一流企業で、軍用機のプロペラだって生産していたヤマハでさえ、ドイツのDKWをコピーするところからスタート。


 なのでぼくは東アジア圏で多いコピー車を非難する気にはあまりならないのでした。「早くオリジナリティ出して!」とは思いますけど。
 法制やマーケティング的に日本や欧州では出すことがほとんど不可能な、2ストや単気筒ハイパフォーマンス系を出して欲しい、と思ったり。
 日本メーカーの海外法人が作っている125ccクラスの台湾バイクやタイバイクは、ユニークなものが多いので結構人気があるようです。


混乱期の商売

 もとが中島飛行機荻窪工場の会社、富士精密の技術者が「模型用の小型エンジンはピストンリングが無くても大丈夫だから、小排気量オートバイエンジンもピストンリング無しで大丈夫では?」と思い試作をし、ベンチでちゃんと回ったのでオートバイに乗せて市販したら、案の定たちまち焼きついたという・・・・・・
 後期型ではピストンリングをつけて普通のエンジンにして故障が無くなったそうですが、前期型を買った人はどうなっちゃったんでしょうね?


 2007年現在でも驚異的な耐久性と経済性を誇る「ホンダ・スーパーカブ」も、1958年の登場時は4スト50ccで4.5馬力という「ハイパワーさから」耐久性に相当難があったそうです。


 不良品でも平気で売ってしまうのだからだから混乱期というものはおそろしい。
 今のコンピュータパーツ商売にも似たようなところがあるけれど、オートバイのほうは搭乗者の命がかかってます。


へんなエンジン

 富士精密の「ピストンリング不要型」は相当無茶な代物で、これは案の定動かなかったのですが、奇妙なのに動いたものをいくつか。


 まずは榎村鉄工所の「穴あきクランクケース2ストエンジン」
 これはクランクケースに2mmほどの穴を開けると何故かパワーが増すという・・・・・・
 専門家の著者も理由が分からなかったそうですが、自分はクランクケースでの予備圧縮に何らかの問題がある設計で、穴がそれを解決していたのでは?と思いました。


 次は浜松の個人開発の2ストエンジン。
 ピストン上昇圧縮行程の末端で、排気管とクランクケースを少しだけ繋ぐとパワーが猛烈に出るという・・・・・・
 著者の予想に自分の予想を加えると、排気が吸気を引き込み負圧が強まり吸気効率が上がっているのでは?と予想します。(共鳴排気と同じ原理で吸気できる?)


 最後は京都の寿司職人(!)が作った2ストロータリーエンジン
 これは、エンジン自体が回る航空用ロータリーシリンダーエンジンに近いノリの代物です。
 著者の感想は「全くの素人で気の毒」とのこと・・・・・・


へんなブランド

 鬼タイヤという会社が作っていた車両の名前は「鬼バイク」。あんた本当に鬼だね!
 共立発動機が作っていた車両の名前は「ニューJAP」、日本小型発動機が作っていた車両の名前は「ニュージャップNJ」。対米戦直後にこのネーミングは・・・・・・
 不二矢製作所が作っていた車両の名前は「マイナー」。売れなさそうなネーミングにもほどがある。
 岩田産業が作っていたBMW完全コピー車の名前は「BIM」
 大東製機が作っていたBMW完全コピー車の名前は「DSK」。このときドイツには「DKW」というメーカーがあった。何だかアナグラム
 新明和と大阪ポインターと三共軽自動車と大成内燃機は4社共に「ポインター」を生産。この名前は「ウルトラマン」にも出ていたし、何かあるのでしょうか。
 生き残ったからいいものの、ホンダの「ベンリィ」や、スズキの「コレダ」もそれなりにヘンテコなネーミングですね。
 今社名がブラザー工業になっている日本ミシン製造も「ブラザー」というバイクを売っていたことがあるそうです。


凝り性のホンダ

 メジャーメーカーなのにへんなメカニズムに凝ることも多いホンダは、1950年代半ばから1960年代に販売していた「ジュノオ」で、片持ちリアサスペンション、バダリーニ式油圧変速機を採用。
 これらのメカニズムは凝った作りのわりに効果が薄いと評価は芳しくなかったそうですが、似た技術を後年に再び試しているところが面白いところです。
 片持ちリアサスペンションは80年代半ばに「プロアーム」として復活、剛性の高さや整備性の良さや制動時の安定性を売りにしていましたが、旋回の左右で違和感があると言われたり言われなかったりしているうちにメリットが無くなったのか、採用数は激減。
 バダリーニ式油圧変速機は珍しいメカニズムなので今何をしているのか調べてみたら、ATV用として現役っぽいです。こんな不思議なものが主流になることってあるんですね。
 

生き残るのは・・・・・・

 生き残ったホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキは、質実剛健にゆっくりとやっていたら、他が勝手に全滅していたという具合。
 面白くないものである。
 この4大メーカーの中で起こった突飛なことといえば、ホンダが「スーパーカブ月産5万台宣言」を実行して、それに追従してきた無数のメーカーを片端から蹴落としていったことくらい?


そもそも日本ごときが何故先行していた海外メーカーを追い越せた?

  1. 海外と違い四輪車を買うほどのお金はない日本人にはちょうどいいエンジン付き機械で、実用的だったため内需が巨大だった。
  2. 需要の大きさに合わせて大量生産技術が速く進んだ。
  3. 軍需壊滅で職にあぶれた技術者が力をつぎ込んだ。
  4. 製品の種類数が多く、ありとあらゆる需要に応えられた。

とか。