放課後は 第二螺旋階段で

筆者の気の向くままに書き連ねるクラシックスタイルのblog。代わりにカテゴリタグによる分類に力を入れております。ネタバレへの配慮等は基本的にありません。「どうなるもこうなるも、なるようにしかならないのでは?」

ぼくは「新世紀エヴァンゲリオン」より「無限のリヴァイアス」のほうが共感できて好きだった。

http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20061030/1162207717

時として人間の内面というのは吹けば飛ぶようなカスみたいなものだ。極端な例えだが戦場で銃を持って勢いまかせに10人も殺せば「私」や「内面」なんて何処かへ飛んで行って消えてしまう。人間は政治経済システム、所属する文化圏やローカルコミュニティの規模や構造、要するに外部からの制約をリアルタイムに強く受けて揺れ動く非常に不安定な存在だ。


http://www7.cds.ne.jp/~nactor/chikara/mugen.html

成績は中くらいで、特筆されるべき技能はまったくない。腕力はゼロに等しく、弟の祐希からエキストラに至るまで、悪いことをしていないにもかかわらずあらゆる人間に殴られる。かといって負の聖徴たるトラウマなども持ち合わせない――つまり、昴治は主人公の特権性をはじめから与えられていないのである(かの碇シンジ君でさえ、エヴァの操縦能力とトラウマを持っていたというのに!)

物語の関心は、キャラクターたちがいままさにリヴァイアスでどういう行動をとるのかに集中しているからだ。この、過去よりも現在、内面より行動、心の傷より意志を重要視する考え方が、ドラマに強烈なサスペンスを付与してる。ある決断をせざるをえない場面があって、しかも決断が正しいのかどうか誰にも保証できなくて、しかしその結果については成否を徹底的に検証し責任をとらせる――そんな苛烈さこそが、視聴者を引き込んでいったのである。


 何故エントリタイトルのようなバランスになったのか、それはこの2つのページ全文を読むことでようやく理論付けすることができた。
 何年もの間割り切れなかった物が今はっきり割り切れて、うれしい。
 割り切れたものは自分のものにすることができる。きっと。