
- 作者:F・K・エベレスト
- メディア: 文庫
1956年にベル X-2 で3,000km/h+、マッハ2.9程の世界速度記録を達成したテストパイロットによる回顧録です。
原著は1958年のため、音の壁を確実に越えられる速度の覇者センチュリーシリーズが完成に向かい、ベトナム戦争は未経験で、ただひたすらに速く高くを追求した頃のアメリカ航空界の空気がそのまま記録されています。
冒頭のカリフォルニア州エドワーズ空軍基地上空で推力差によりチェイス機の F-86 セイバー を点にして音速突破する YF-100 スーパーセイバー の情景はまるでマクロス・プラスの世界。
基本的にあっさり簡潔とした文体なのですが、航空機が新世界を切り開く性能を発揮した瞬間世界像がぐっと精緻になる描き方に著者の誇りが感じられます。
箇条書き記録
- 著者について WikiPedia にも簡単な内容ながら日本語で単独項目があり。フランク・エベレスト - Wikipedia
- 著者がテストした主な機種は X-1、X-2、X-3 などの実験機、F-100 などセンチュリーシリーズ、F7U、F4D、F3H、FJ3、F8Uなど同年代の海軍機、グロスター・ジャベリン、ホーカー・ハンターなど同年代の英国機。
- 実用化前に乗るため、他の戦記・回顧録とちょっと年代感覚が異なります。
- 第二次世界大戦末期、中国・漢口近辺で対空火器により撃墜され日本軍の捕虜になった後、終戦の情報を得たため日本軍に対して自分の指揮下に入るように交渉するシーンは立場の逆転があまりにも急激すぎて異様。正しくはあるけれど。
- 航空機について軍がテストするようになったのは比較的最近のことであるという。それ以前はメーカーテストのみで、スペック通りの性能を必ずしも発揮できるとは限らなかったとか。
- 近年、ドイツ製大戦機のスペックがメーカーの理論値で実測でないため一部不自然であると知られていますが、アメリカ製の機体もスペックに少々異常な部分があった模様。
- 数字的にやや見劣りしがちな日本とイギリスはただテストが公正だっただけなのかもしれない。
- 近年、ドイツ製大戦機のスペックがメーカーの理論値で実測でないため一部不自然であると知られていますが、アメリカ製の機体もスペックに少々異常な部分があった模様。
- T-61 ガトリング(現在の M61 バルカン)は F-104 に搭載されるために設計された。マッハ2以上でのドッグファイトで一瞬の射撃チャンスを確実にものにするための発射速度です。
- F-101 ヴードゥー は開発当時特に評価が高い機体でした。加速性能があまりにも高いため、離陸後に脚の引き込み遅れでカバー部を破壊する事故が多数発生したとか。(限界速度250ノット) F-101 を大幅に上回る加速力がある現代の F-15 などが離陸と同時に車輪を引き込むのは単に破損防止?(別に格好つけている訳でもなく、加速力を稼ぐ効果も二次的)
- 後日この本を読みました。核ロケットだけじゃない 「世界の傑作機 No.101 F-101 ヴードゥー」
- チャック・イェーガーが、捕獲した Mig-15 を本国から遠く離れた沖縄沖でテストするシーンが出てくるのですがこれ本当にあったことなのでしょうか?
- X-3 はただ真っ直ぐ飛行するのも難しいレベルの失敗作でした。あまりにも高すぎる翼面荷重と胴体の長さの慣性モーメントが不安定性をもたらしていました。
- 現代型の旅客機も国際線の高々度高速巡航中は最低対気速度と最大マッハの狭間数十ノットの「コリドー」を飛行していて、X-3も同様に余裕が全然無かった模様。*1
- X-2 には多色・多融点の耐熱塗料が重ね塗られていた。高速飛行中の熱によりどの層まで融解したのか調査することにより温度を特定するため。
- 実験機が達成した速度は、機密保持のため無線で地上へ知らせなかった。
- 著者は高々度飛行中、何度か空飛ぶ円盤を見たという(!?)見つけた場合、それが何であるかを識別するために追跡し、着陸後調査し、ただ一度を除いてそれが何であるのか分かったという。他の航空機、気象観測気球、大気現象、等々‥‥ 人工衛星は未打ち上げの時代。
- 市民がUFOを見なくなったのは冷戦が終結したためか?
- 30歳を越えたテストパイロットは反応時間・警戒心・頭脳活動に低下が見られ、生き残りに対する意欲のため、適性が欠け始めるという。まだ若いんじゃないですか‥‥