放課後は 第二螺旋階段で

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機械の戦いの狭間で―「海戦 〔伏字復元版〕」 丹羽文雄

 1942年8月初頭頃から重巡鳥海に同乗し、第一次ソロモン海戦に参加した記者であり小説家である著者による記録文学が本書である。

 現代海軍の海戦とは本質的に遠洋航海であるため、ただそこにある南洋の夜明けと日没、スコールとの出会い、その壮大な描写がオランダ風景画の傑作群を思い起こさせる魅力的なものとなっている。

 単縦陣の艦隊が残したウェーキ以外に波らしい波はなく、近くから見ればきめの細かい紺の布地のようにとろりとした海面、遠くから見れば鏡のようで、写る雲が朝焼けに照らされている。

 このような中で水偵を着水させるために旗艦が急回頭する場面も見どころである。

 時折味方の航空機編隊が上空を通るのだが、高倍率双眼鏡をもってしても音は聞こえないため、まるで極楽浄土の出来事のようで、彼らが素晴らしい練度と相互信頼をもって死地に赴いていると考えると、海軍士官たちは胸がつまって泣けてきてしまう。

 海軍士官はまた「この艦隊には僕の同級生が5人ものりこんでいるんですよ。大丈夫です」とも言ってのける。彼らが持つ兵学校の友情の篤さとは一体何なのだろうか。何よりも清廉であり、一体どのような青春を送ればあれを手に入れられるのだろうか?こう思うと恐縮してしまう著者であるが、同級生そのものを持たない私もまた手に入らないものへの渇望に胸が締め付けられる。

 そして彼ら海軍士官は死を恐れない。いや、これほどの友情を持っていれば死などなにするものぞの感にもなるだろう。私もそうなれるものならなりたいものだ。この空気感には憧れを持った。


 こうして数日の航海を経た後、殴り込みの夜戦が始まる。1942年8月8日から9日にかけての夜戦、後に「第一次ソロモン海戦」と呼ばれる戦いである。

 艦対艦の夜戦はレーダー導入以前の光学装置時代でさえ完全なる機械の世界であり、肉眼で目視できるのは魚雷発射時の夜光虫の光か、敵艦が火災を起こした時くらいである。

 ここで作家は、大火災を起こした敵艦が火の海となり、炎が溶岩のように海にこぼれ落ちる様を目撃する。

 と、ここで不意に衝撃を受ける。敵甲巡の20センチ砲弾が鳥海に命中・炸裂したのだ。全身の30カ所ほどに破片が突き刺さるが命に別状はなかった。服やノートは血と米海軍砲弾染料の緑と黄色に染まり、乾き、ぼろぼろになってしまっていた。

 士官たちからは身体の傷も一生残る記念品だと言われ、作家もそれに同意する。

 この戦いで鳥海では34名が戦死し、48名が負傷した。

■細々メモ

  • この頃の重巡でも「相手のマストの先が水平線からちょっと見えるだけで勝敗を決せられるくらいの性能に達している」と認識している。
  • 巡洋艦の艦載機は深夜に出発し黎明に目的地域を捜索し昼〜薄暮頃に帰還するスケジュールが基本。
  • 伏せ字は艦の固有名・スペックにまつわるものにかかっている。例えば「(青葉)の艦載機が敵艦発見」「鳥海の(主砲で)対空射撃を行った」など。
  • 付として収録されている「ラバウルの生態」「三つの並木道」(ラバウル)によると、この街は1910年にドイツのノード・ダッチ・ロイド汽船会社が、ドイツ政府からシドニー―香港航路の寄港地として使用することを推奨されたために作った街であるという。元々ドイツ色が強い土地なのである。

 

  • 本書は解説の保阪正康による「非日常の中の日常を描いている」という一言に見事に集約されている。