人間のエゴは―脆弱なのだ。安心を求めているのだ。
人間の記憶は固定したものではなく、つねに編集されている。人間は非論理的な世界に住みながら、論理や物語を必要としている。
人間が処理しきれない量の広告と情報に埋めつくされた近未来ロンドンの街。人々は高度なフィルタリング機能と情報統合システムを備えた「守護天使」ブラウザを頭脳に組み込むことで情報過剰世界を生き延びていた。
それは、「スコットランドヤードの刑事」という人にあたることで事件を解決するはずの旧態然とした職業さえも例外ではなかった。
庶民の頭脳ブラウザが街を全方位から監視し、何もかもが衆人環視のもとにおかれ、それが検索可能になったこの時代、刑事が外に出る必然性は全く無くなってしまったのだ。
そんな社会で、衛星通信会社とニュートリノ超高速通信会社*1という商売敵の重役同士が街の一角に呼び寄せられ、衛星通信会社重役の「機械が止まる」という奇妙なメッセージの直後、ニュートリノ超高速通信会社重役が射殺されるという事件が発生する。
刑事はその現場を全方位から「検索」し犯人を捜索するが、何故か犯人にたどり着くことはできなかった。
ライバル会社の重役を射殺するという大不祥事を重役自らが起こすなどありえないのでは?銃撃の直前、タイミング良く手を挙げている街の少女・・・彼女は何者だろうか?
「守護天使」が何か重大な情報をフィルタリングをしているのでは・・・?
使い手にショックを与えまいと「守護天使」が施していたフィルターを一段また一段と丁寧に解除していくうちに、刑事は「守護天使」が耐えきれないと評価した情報をも取り込み、その結果自我喪失にみまわれる。
「今までに自分が見ていたものは一体なんだっただろうのか?そもそも何かを『見ていた』と言えるのか?自分自身の実在は?」
機械に認識の限界を先読みされてしまっていた人類。
古い建物が残っているロンドンの上に人間が耐えきれないほど大量の広告が塗りたくられていて、それをアンチスパムフィルタ知覚を通して見て生活する人々、誰もが使うようになった脳内ブラウザを使わず身体には映像刺青を施して姿を隠し、ブラウザに乗らない古い言語「手話」でコミュニケーションをとることで電子監視社会から逃避する若者たち、部屋から一歩も出ないままに現場を調べてありとあらゆる関係者に会う未来安楽椅子探偵、といったイメージは非常に格好いい作品です。
コンピュータウイルスが生命と認められアンチウイルスソフトが非合法化されているという設定は、面白いのに本編には全くといっていいほど絡みません。*2
衛星通信会社重役だけが「機械が止まる」という手話メッセージを読みとれた理由に関しては伏線が未消化なのでは・・・?
「SFマガジン2003年2月(通巻562号)スティーヴン・バクスター特集号」に掲載。