
- 作者: ロバートフォーサイス,Robert Forsyth,岡崎淳子
- 出版社/メーカー: 大日本絵画
- 発売日: 2003/12/01
- メディア: 大型本
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私は新たな部隊を創設することになった。それまで繰り返し具申してきたようにMe262が優秀な戦闘機であることを自ら実証するために……
―アドルフ・ガーランド、1945年
長らく続いた第二次世界大戦も、1944年半ばとなるとドイツの敗北がほぼ決定的なものになっていた。
南の同胞イタリアはすでに降伏。西はフランス・ノルマンディーから続々這い上がってくる英米連合軍。東は押し寄せるソ連軍鋼鉄の津波。
絶対逆転不能の戦況の中、政争に敗れたアドルフ・ガーランドは、若手で何も知らない将校たちの傀儡になっていたゲーリングの命令により戦闘機隊総監解任。一部隊の隊長に格下げされてしまう。
やむなく、かれは一部隊という限られた場ながらも自らの信念を証明するため、最新鋭の異次元ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262、度重なる戦闘による後遺症*1と頻繁な部隊編成変更により余剰人員となったエースを集め「第44戦闘団」(JV44)を編成する。
「隊に所属することそのものが名誉」「鉄十字章が部隊章」とまで言われた最強部隊がここに誕生。
JV44はミュンヘン・リーム空港に超新星のように現れ、超新星のように消えた。
最強部隊の記録を余すところなく伝えるこの本は、巻頭の言葉がヴァルター・クルピンスキー(197機撃墜)、アドルフ・ガーランド(部隊指揮官・104機撃墜)というところからしてただものではない。
第44戦闘団に関してはこの本なしには語れぬ決定版です。
変人ガーランド
第44戦闘団を編成したアドルフ・ガーランドは人気のエースですが、実際に上司になるとかなり嫌なタイプではあります。
というのも、戦闘展開が理想通りでないと(実戦で思い通りに行くことなど滅多にないでしょう)後で「君は一体何をやっていたんだ」などと絡んできますし、出撃を重ねても戦果が無いと「君は何をやっているんだ。やる気はあるのかね」などと絡んでくるのです…これはちょっとどころではないストレス…命賭けて戦って、生きて帰ってけなされて…
政争では、爆撃機隊との関係が良好で悪天候飛行に慣れた爆撃機隊の熟練パイロットを引き抜いてMe262高速戦闘機隊に編入しようとしたゴードン・ゴロップ*2に敗れ、生え抜きのMe262戦闘機パイロットや新しい施設を一から育てようとしていたガーランドは最終的に追い出される羽目に遭います。
空軍は、さらにいえばドイツ軍は戦闘機隊だけのためにあるわけではなく、全くの新人が安全なはずの場所でただ訓練飛行しているだけでも戦闘機から狙われて死んでしまうこともあるくらい酷い戦況だったようなので、ガーランドの行き方はちょっと無理がありそうですね。これでは上がゲーリングでなくても上層部に居続けるのは難しかったと思います。
どんな名優だって稽古が必要
アドルフ・ガーランドが最強部隊の人員と道具を集めて編成したのは良いのですが、全く新しいジェット機のMe262は性能や特性が全くの異次元、熟練エースでも機種転換完了までに全損事故機を出してしまうほど設計に難がある機体なので戦力化にはかなり時間がかかっています。
1945年2月に編成を開始し、4月になってようやく戦力化。5月になったらもう終戦。短すぎて何もできやしない。
戦争末期の猛烈な戦略爆撃を防ぐために決死の努力が続けられている中、強力なエースをこの部隊での訓練に拘束し続けるというのは能力配分的にあまり良い手とは思えませんでした。
JV44でややダラダラとした戦いをしていなかったら皆討ち死にしていたと見ることもできますが「戦略爆撃を防がずして生き延びて何の防空軍なのか?」という話です。
この話をさらに進めてしまうと、敗北が確定した段階で降伏しなかったのは何故かという話にもなりますが‥‥
群像劇の補助線
登場人物が極度に多いこの本を通しで読むとき注目すると特に楽しい人物は、JV44編成時に22歳位だったエードゥアルド・シャルモーザー軍曹。
かれは訓練終了直後の1944年にBf109隊に配備されるものの予備人員として過ごしさらに訓練を重ね、飛行時間が500時間と十二分になった段階でようやくJV44に配備され、Me262で実戦デビューというエースが約束されたような期待の新人。
P-38ライトニングの後部胴体に激突のち主翼で切断撃墜したり、B-26マローダーのプロペラに激突して機体全損のち実家にパラシュート降下など愉快な戦いをする羽目になっていて面白いです。
そんな抜けたところがあるかれも、最後にはハインツ・ベーア(220機撃墜)とヴァルター・クルピンスキー(197機撃墜)という大エースの推薦で鉄十字章を貰うところにまで到達するのでした。
最新鋭戦闘機と暮らす
- 燃料節約
Me262は低速時の燃費が特に劣悪なので、発進時の自力移動が禁止されていました。
ケッテンクラートに牽引されて出撃して、帰ってきたときや時間的余裕があるときはケッテンクラートの燃料も勿体ないからみんなで押して格納庫へ。
- 家を作る
ミュンヘン・リーム空港で第44戦闘団を編成するため、作戦室兼宿舎として近場の孤児院を接収。住んでいた子供たちにはどこかに行ってもらう。
学校ふうな建物が、命を削る生活者のための場に。
そこから指示を出す地上指揮官は、ガーランドの元幕僚で直後に戦闘機隊司令本部から追放されたヴェルナー・グートフスキー大尉、大腿骨複雑骨折が原因で復帰不能になった叩き上げの元パイロット、ヘルベルト・カイザー士官候補上級曹長(68機撃墜)といった、強面の面々。
- 今日の天気は爆撃。
新鋭のジェット戦闘機が配備されていると知った連合国軍はミュンヘン・リーム空港とその周辺にしつこく連続で攻撃を仕掛けてきます。爆撃、復旧、爆撃、復旧…延々繰り返される工事。
そんな生活の中での楽しみは、空港のそばでナチス親衛隊が募集し育てていた可愛い少女騎手を見に行くこと…けれどその厩舎にも爆弾が命中してしまって…
この回想は語り口が非常に上手いです。
命がけのシチュエーションでどうでもいいことに本気になって、でも命がけなんですよと何度も主張して、でもどうでもいいことで喜んで、でも危機に陥って、力ずくで人道救助をして、それでも上手くいかなくて…
全天候ではない戦闘機
これは目視戦闘時代なら当たり前といえば当たり前の話なのですが、悪天候で雲量の多いときは迎撃側が接触に失敗しがちで爆撃側優勢になりやすかった模様。
1944年11〜12月は悪天候が続いたせいでドイツが戦略爆撃で受けた被害が増したという記述がみられます。
「もしあのとき天候がもっと良ければ、これほど好き勝手に爆撃はされなかっただろう‥‥」との旨。
1945年1月1日の最後の大攻勢として有名な「ボーデンプラッテ作戦」も、初めから1月1日を狙っていたのではなく、悪天候で11月から作戦が延び延びになっているうちに1月1日にまでなってしまったのでした。
もとは「ラインの守り作戦」(アルデンヌ攻勢)にあわせるはずだった作戦。
ここが嫌だよMe262
プロペラ戦闘機は最高速度700km/hのP-51マスタングで頭打ち、そんな中現れた最高速度870km/hのMe262は夢の異次元戦闘機かと思いきや、弱点がなかなか多い…
速度などの数字そのものはいいのですが小回りが利かず、任務的にはFw190A/Rのような突撃戦闘機が非常に高速化したものと思うと良さそうです。
- スロットルが戻せない
高空高速時はスロットルを戻すとコンプレッサーストールのちフレームアウトするのでスロットル操作原則禁止。ほぼ全開固定。
850km/hくらいで飛んでいるときに400km/hくらいで飛んでるB-17爆撃機を見つけても、850km/hのままで攻撃をかける羽目に。
- 止まらない
プロペラ機はスロットルを戻せば減速。
F-86セイバーのような戦後型ジェット戦闘機は、全開固定(操作への反応が悪いのでスロットル開けっぱなしにしがち)にしていても空力ブレーキがあるので幾ばくかの速度調整可能。
Me262は、スロットルを戻せない上に空気抵抗物も何にもない。
- 曲がらない
双発なせいかロールが鈍い。足が速いせいか根性(腕力)も必要。ドイツの戦闘機はだいたいロールが速めに設定されているようなのでこれはちょっと面倒。
- 足が短い
航続距離そのものは1000km位でBf109の700km程度より長いのですが、足の速さが段違いなのとまともなスロットル操作ができないのとで、あっという間に走りきり燃料切れに。
- 走らない
推力そのものの量は小さいので、離陸のような低空低速からの上昇加速力は大したことがないどころかむしろ在来機よりずっと低いくらいです。
ここで無理にスロットルを開けて加速しようとすると、エンジンが溶けて終了。
ある程度の高度に上がって速度を乗せていけば、それでやっとプロペラ機が効率低下で苦しんでいる中を我が物顔で走り回れます。
難しいMe262で戦うコツ
- 編隊戦闘を諦める
スロットルレスポンスも何もない代わりに後ろからは誰も撃てやしないくらいの高速なので、通常は「(攻撃+防御)×2=4」で組む編隊を「攻撃×3」の編成にしてしまいます。
攻撃を仕掛けられたアメリカ爆撃機の搭乗員も「ドイツのジェット戦闘機は凄まじく高速でしたが全く統制がとれていないように見えました」と証言を残すような戦いぶりですが誰も追いつけないのでこれで問題がないのでした。Me262とP-51は、P-51と零戦より速度差があるほどなのです。
- ロケット弾を使う
圧倒的高速力で少々速度が落ちてもまだ何よりも速いので、翼下にR4M空対空ロケットを24本ほど搭載。1100mの長距離から爆撃機編隊に向かって斉射。
遠すぎて誰も手出しができないのであります。
ロケット弾は非常に強力で、緊密なコンバットボックス防御編隊を組んでいるB-17隊に撃ち込めば1発くらいは当たってくれて、そのたった1発が必ず敵機を撃墜するほどの破壊力を発揮していたのでありました。
- ローラーコースター戦法
敵爆撃隊からかなり離れたところで一旦急降下、そのまま接近、勢いを使って急上昇しつつそのまま斜め上方につき抜けるという有名な戦法。
この戦法はMe262装備部隊以外では使用された話をあまり見ませんが、機体特性や事故を知ればそれも納得です。
推力操作ができたり長距離射撃が当たったりするまともな機体なら、普通に後や上などから攻撃をかければ良いのですから。
スロットルを戻せないというどうしようもない欠陥と照準性能があまり良くない機体の組み合わせなので、敵爆撃機は浮き上がりざま(つまり空気の坂を駆け上がって減速しながら)でしか撃つことができないんですね。
苦肉の策であります。
- 護衛をしてもらう
JV44は低空低速の戦闘が得意なFw190D-9とD-11を数機集めて「ヴェルガー中隊」(百舌中隊)を編成しています。
赤地に白のストライプが描かれた下面塗装、そして「服を売り払って天国へ!」「涙を振り切って彼は行く!」という胴体のスローガンがユニークな部隊。
彼らこそ低空低速でか弱いMe262の守護者。
エース専用機
エースパイロットがテストをしていたものの通常の試験を打ち切ってパイロットもろとも実戦に投入された特殊仕様のMe262もありました。
通常型はMe262A-1a。
- ハインツ・ベーア専用Me262A-1a/U5
通常4門の機首30mmMk108機関砲に2門追加し計6門とした仕様。
透視図を見た印象では、楽ではないけれど無理がある搭載法には見えないので、全機この仕様にしたら一段と強烈な火力を発揮できそうな感じがします。
ですが一機で終わっています。
弾薬搭載量を稼ぎにくかったのがネックになったのでしょうか。
- ヴィルヘルム・ヘアゲット専用Me262A-1a/U4
通常4門の機首30mmMk108機関砲に換えて50mmMk214Aの1門を搭載した仕様。
爆撃機の防御砲火の外から射撃を加えるために製作されました。
これは動作不良ばかり起こしていて全くといっていいほど役に立たなかったのでありました。
パイロットのヴィルヘルム・ヘアゲットは元夜間戦闘エースという珍しい経歴です。双発戦闘機に慣れているのですね。かれは身長が170cmほどでしかなかったためあだ名が「デア・クライネ」(ちび)だったそうですがドイツ人って基準が大きい…
マイナー・試作なMe262
- Me262B-1a/U1
機首に蛾の触角のような「ネプトゥーン」レーダーが突き出した夜間戦闘向け複座型。
第11夜間戦闘航空団(NJG11)に極少数配備。
この機体が、Me262による撃墜数第一位を獲得しています。クルト・ヴァルターによる20機撃墜。
- Me262V9
「レンカピーネ」(「レーシングキャノピー」の意?)という上下方向に平べったくて小さいキャノピにした高速化仕様。視界が歪みそう…
ドイツ機は横を向くだけでも若干窮屈なくらい絞ったキャノピーの機体多い。(Bf109もFw190もかなり狭い)
- Me262C-1a
加速力不足を補うためにロケットエンジンを追加した仕様。
ロケットエンジンはロケット流速と大気流速が近い方が高効率なので、Me262が苦手な離陸滑走中に点火したくなる人情を我慢して上昇に入ってから使用するべきという実戦使用時向けらしき注意の記述あり。
この機体は空爆により全損、そのまま試験終了。
航空機工場直轄で防空をしていたMe262も若干機存在していたようです。これらのパイロットは民間人と軍人どちらに入るのでしょうか。何部隊って言うのでしょうか?
珍しい立ち位置の人々。
異次元機関砲・30mmMk108
Me262に搭載されていた30mmMk108機関砲は、軽量短砲身・プレス加工による高生産性・薄殻榴弾による大量爆発エネルギー*3・高発射レート等、強大な火力を手軽に搭載できる知れば知るほど素晴らしい機械です。
今までは短砲身で弾道特性が悪く当たらない機関砲と思っていましたが、Bf109Kシリーズでモーターカノンとして採用されていた同じ30mm口径のMk103機関砲と比べると半分程度の重量でしかなく、同じ積載能力で2倍の数を搭載できてしまうのでは強力と認めるしかありません。重量あたりの発射弾量に換算すればMk103の3倍超に到達してしまうほど。
発射レートは650rpmという高速ぶり。(12.7mmのブローニングM2でも600rpm程度でしかないと言えばこの速さが分かりやすいでしょう)
こんなものを4基も搭載した戦闘機に襲われたら、ひとたまりもないですね。
製作時の計算値では、B-17やB-24クラスでさえ、5発も当てれば撃墜確実と出ています。
4門搭載の標準型Me262A-1aなら、理論上0.12秒程度の射撃で撃墜完了。
6門に搭載数が増えたMe262A-1a/U5ともなれば、僅か0.07秒の射撃で撃墜完了。
数と口径こそは力なり。
機関砲そのものの性能とは無関係な話で、理由はよく分かりませんが、この機関砲は発射後の薬莢をまたちゃんと給弾ベルトリンクに嵌め直すメカニズムが採用されていたようです。
大量の空薬莢を排出することによる重心移動を嫌っていたのでしょうか?けれど薬莢排出口らしき穴は開いているので、リンクの節を切断しながら排出していたのでしょうか?
航空ロケット・55mmR4M
爆撃機編隊がいくら防御機銃網を立体的に固めても、その射程外から一撃必殺の火力を投入すれば勝利は可能…というわけで細身の航空機搭載専用ロケット弾R4M*4が開発されます。
このロケット弾はバネ仕掛けで動く安定翼の折り畳み・展開構造が非常に合理的。
折り畳み支点が弾体後端にあり空気抵抗で自然と後方に展開する前向きに折り畳まれた8枚の安定翼のうち7枚をワイヤで縛り、8枚目の羽で羽固定ワイヤを押さえ、8枚目の羽をレールに固定。
発射と同時に8枚目の羽が展開。ワイヤ押さえが無くなった残りの7枚羽が開くという構造。
弾頭は着発空対空徹甲か、パンツァーシュレックと全く同じ着発HEAT対戦車の2種類。
Me262に搭載可能だったのは着発空対空徹甲弾頭のみ。時限信管無し。それでもかなり高い確率で命中し、一撃必殺だったそうで。
終戦直前の奇妙な光景
燃料関係の設備が爆撃で大破したものの航空機生産の効率化はそれなりに進んでいた上に基地が被占領により集約されていったため、終戦間際になると燃料タンクが空の迎撃機が飛行場に唸るほど並ぶというアンバランスな光景が出来上がってしまっています。
壊れたら修理するよりも余っている機に乗り換えた方が良いという位の状況。
よく分からない装備
終戦直後に撮影されたJu87スツーカの写真で、機体下面に取り付けられている人間の胴体と同じくらいの口径のパイプ(本当にただのパイプ)について「人員輸送用」と解説されているのですが、これが個人の手荷物運搬用ではなく人員そのものの運搬だったら嫌すぎる方法ですね…
戦いの終わりに始まる戦い
1945年4月下旬になるとミュンヘン市やその周辺で「自由バイエルン党」なる集団による反乱が発生。放送局を占拠されるなど大規模な混乱状態に。JV44所属のドイツ軍人が自由バイエルン党のドイツ人に攻撃される小競り合いまで起こっています。
この反乱はたちまち鎮圧されますが、ドイツが完全に一枚板の国家ではなくてバイエルン独立を狙う勢力がいたってこと、ここで初めて知りました。
混乱した状況は僅かな歪みを拡大させる。
彼らはバイエルン・ミュンヘンだけで独立してその後一体どうする気だったのでしょうか。たぶん何も考えていなかったんだろうと思いますが…
第二次世界大戦勃発よりもずっと前のナチ党が表舞台に出てくる切っ掛けになった事件は「ミュンヘン一揆」でした。ミュンヘンは「反ベルリン感情が強い地域」らしいのですが、何故そのような感情が生まれて消えないままだったのか?
降伏
「ジェット機の運用ノウハウや技術は散逸させるには惜しく、将来の米ソ戦において米国にとって非常に有益である」と判断したアドルフ・ガーランドは1945年5月1日にFi156シュトルヒ連絡機で米軍占領下のミュンヘンの飛行場に特使を派遣します。彼らはなぜか一切の迎撃を受けず着陸・通信に成功。
未だ抵抗戦闘能力を充分に持っている部隊を降伏させると独断で決めるってかなり変な人かも。
この通信そのものは成功するものの、降伏条件に問題があったため交渉は決裂。のちの逃亡につながります。
この事件そのものとはちょっと離れた話になりますが、第二次世界大戦欧州戦線の終戦間際でアメリカに積極的に降伏した人は最後まで力を尽くしたという印象を受けるのに、ソ連に降伏して従った人は裏切り者に見えるのは何故なのでしょうか。自分が資本主義陣営の日本で生まれ育ったせいってだけの話?
逃亡
1945年4月末にもなると米軍がミュンヘン・リームに到達することが確定したため、JV44はオーストリア・ザルツブルグ・マクスグラン/アインリングへ移動。
そこでの対米降伏交渉に失敗しザルツブルグにも米軍が到達すると判断したため、今度はソ連軍の迫るオーストリア・チロル・インスブルックの山中へ…
降伏するのも楽ではない。
終戦、そして戦争は人を老けさせると…
1945年5月5日から7日にかけて、ドイツ軍全面降伏より1日早く、第44戦闘団は独断で連合国軍に降伏完了。
かれらの戦いは終わり、捕虜収容所に入れられ、新鋭ジェット機についての質問を次々投げかけられます。
このとき、所属隊員は司令官ガーランドの指令によりジェット機について報告書を作成するほど大量の情報を伝達していますが、やっぱり変わってるガーランド氏。普通の捕虜は何も答えないものなのに。
尋問される、移送されるなど、ごく普通の捕虜生活を送る隊員たち…しかしその中でも事件が。
(略)
だからシェルブールで下船したとき、私たちは全部の勲章を身につけていたわけだ。そこにはまるっきり子供みたいな若いフランス兵がふたり待ちかまえていて、私たちをトラックに案内したが、そのうちのひとりが私の首から騎士十字章をむしり取ろうとした。私は思わずそいつの顔面に拳をたたき込んだ。
このときバルクホルンが私の後ろにいて、彼が後日、病院に私を見舞いに来て教えてくれたんだが、もうひとりのフランス兵がライフルの銃床で私の頭を殴ったということだった…
このとき、勲章を奪われそうになったヴァルター・クルピンスキー氏、24歳。自身だってまだ若いでしょうに。しかし実績は197機撃墜という堂々たるものを残してしまう。
戦争は、人を成長させるというより、人を老化させます…