放課後は 第二螺旋階段で

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シン・エヴァンゲリオン劇場版:||でついにエヴァが完結。舞台挨拶中継付きでそれを見たメモ(最終更新2021年04月19日)

以下見た直後に書いたメモを多少読みやすい形に編集して掲載しています。そのときはうまく言語化できなかった部分もでき次第に追記・編集しています。

本編

  • 第一声は「頭がおかしくなりそうだ!」
  • これで終わりだからとアイデアがヤケクソ気味に詰め込まれた世界が進行していきます。
  • TVシリーズならこれ1つで30分の伝説になれるようなアイデアが3秒で終わり続けるような密度。
  • だからネタバレなんて本当に全く意味がない!読んだからって分かるものじゃない。そんなものどうでもいい。
  • メモを書くと前から決めていたけれど、正直何にも考えられないよ。
    • 凄すぎて本当に何にも語れない
  • しかし、そこまでやるかというレベルの伏線回収・全ての説明がなされたな。
  • アスカがQのとき何故殴ろうとしたのかという説明など、国語入試問題の模範解答を喋っているかのようですらあった。今作で本当に終わると確かに実感した瞬間。
    • ここまで高密度で進行しながら、マイナス宇宙以降、「この話を本当に終わらせられるのだろうか?」と、「永遠に続いてくれこの芸術!」という気持ちが同時にあった。
  • 劇場版基準でも素晴らしい映像が全編にわたって続いても、それが瞬時に相対化されて意味性がなくなる所も完全に異次元作品。作画チームが一気に若返ったのも分かります。「今までにこの世界になかったあるべきものがあるべき場所にある」という考え方はもはや娯楽作品というより芸術の方に近い。
  • 自分としては初のリピートするかもしれない。4K8Kで確認したい作品でもある。
  • ゲンドウ戦まわりの描写は特にヤケクソ感強くて、エヴァが激突した建物がそのまま滑っていく(何故ならセットだから)とか、果ては撮影所のホリゾンタルにぶつかるのをアニメーションで表現するなんてもはや正気の沙汰とは思えない。
  • 最後だからって全編ヤケクソ気味のメカニックにギミックの連発でオタクスマイルのまま顔が固まっちゃった。この点においては、マスクが義務付けられているこのCOVID-19環境が逆に功を奏したように思える。(例えば最終決戦直前に現れるエヴァンゲリオン腕号機*1なんか、足号機44Bシリーズが出たから「じゃあ上半身どこ行ったの?と疑問に思ったでしょう。その答えはこれだ!」という悪ふざけ冗談の部類でしょう)
  • 2021年まで生きていて良かった。1999年の自分に見せてあげたい。3分に一回はぶっ飛んでいただろうな。それでは済まないか?
  • 今作の特徴を総合的に表現するならばエヴァンゲリオンを元ネタにして、エヴァンゲリオンを父として生み出されたエヴァンゲリオンである」そして、自分含む1990年代から見ていた人に対するご褒美。ありがとう。まるで夢のような物語だったよ。
    • 何故夢のように思えるのかという点においては、最終盤のゲンドウの心象風景シーンが大きいだろう。TV・旧劇場版を見ていればこのようなシーンがあっても何らおかしくない事は明らかであるからだ。そして皆が期待していたものの一つでであろうと思う。twitterが「新世紀エヴァンゲリオン/zero ゲンドウ編」で盛り上がっているのは全く以て必然である。
  • 「まるで夢の中」といえば、最終盤のDパート「マイナス宇宙・エヴァンゲリオンイマジナリー」に突入する直前にゲンドウが「差別も貧困もない世界も作りたかった」といった趣旨の発言をしたとき、エヴァンゲリオンワールドにその概念がある事そのものに驚きました。水平面の人間関係における軋轢に極度に特化した作品で、垂直面のものに関してはほぼ省略した構造であるのは明らかだからです。自分のいる現実世界に対して言及する第四の壁を破る展開が突如始まったように感じました。
    • Dパートの構造そのものが第四の壁に触れ続けるシンエヴァと自分が明晰夢の中で何かコミュニケーションを取っているようにすら感じられました。エヴァンゲリオンイマジナリーは「この作品を強く信じてくれたあなたが考えている事が『現実』になります」という意味であると認識して見ていた。
  • 思いがけない恵みを幸福(あるいは福音?)として解釈して受けとって生きていけるって、人生豊かになるよね。「ATS OK?」ラストシーンはそのように受けとりました。
  • EDのスタッフロールで、宇多田ヒカルの「One Last Kiss」から「Beautiful World (Da Capo Version)」に切り替わる無音の部分で名誉特技監督増尾昭一が現れるのを見て、時の流れに泣いた。この映画は一体何人の命の結晶なのか‥‥。
    • 今作のシナリオの構造そのものが「初めてのルーブルは何てことはなかったわ 私だけのモナリザ もうとっくに出会ってたから」なのだよね。誰が見ても分かりきっている話だから。ただそれを信じられない位物凄い画面で実体化してくれた事がありがたい。
      • メタ的にならなくても、ゲンドウがシンジにユイの面影を見るとか、シンジの「何でみんな僕に優しくするんだよ!」のような「もう分かっていた事」に対応している。究極のフレーズです。
  • エヴァンゲリオンはこの作品がなくても心の中で完結していたって事、あらためて教えてくれた。
  • 上映の時期(おおむね3週目の日曜朝)の関係か、当時世代風の人は意外と少数派だ。大学生風が多い。が、並びの席になった人は自分含め90年代から見てるか事前にTVシリーズ旧劇場版から周回して来てるのは間違いない反応だったのも、この上映を一層感慨深い体験にしたと思う。

このメモを書き始めたのは上映開始0900、本編上映終了後休憩である1200前。舞台挨拶込みの枠は1245に終了。

細部

 全体構成の根幹部には深く関わらないが印象的だった要素。この項はすべて後日に書いています。

  • ヴンダーが第三村に寄港した際にケンスケのカメラがアスカの横顔をついつい長く写すそのシーンに何ともいえない愛おしさを感じた。
    • これを踏まえてMV見て。

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  • これは言われて気付いた事ですが、ヴンダー型4隻になった4つの光の巨人のシルエットがそれぞれウルトラ兄弟の誰であると認識できるデザインになっています。しかしそれに特に何の意味もないという状態で描ききっている。1960年代すなわち庵野秀明の原風景のような第三村といい、全身がオタクだけで作られた(他の要素が著しく少ない)人間が箱の底まで全てを出し切ったかのよう。
    • 1990年代当時の庵野秀明が語っていた「自分にオリジナルがない」という言葉の切実性は2021年にやっと理解できました。日常会話ですら全てに何らかの元ネタがあるような領域に達している人間でしか感じられない質のものです。

舞台挨拶

  • まず最初に「マスメディアが入っておりませんのでネタバレなど全開でいきます」との趣旨のアナウンスが。これには驚いた。この規模の作品で取材なしとは!?BDや4K8Kソフト化の際は是非再録していただきたい空気感でした。ネット上でマスメディアのレポが読めるのはこの一つ後の10時開始回。(おそらくコアファン向け・プロモーション向けで内容を分けています)
  • 石田彰の感想が自分にあまりに近かった。「ゲンドウくん!気持ちは分かるけれどやる事がね!」
    • 「カヲル君も救う事で自分が救われたかったと」
  • 石田彰は極端なまでの非社交的エピソードや低テンションエピソードが数多く伝えられているため、この「ゲンドウくん!」のテンションの高さには驚きました笑
  • 林原めぐみのコメントは「10代の人にとってはこれが入学式かもしれないし、30代の人にとってはこれが一つの卒業式でしょう」といった趣旨のもので、90年代から見ていて当時の林原めぐみ帝国の記憶ある自分にとって感慨深い時代認識でした。
  • 宮村優子は個人的にも2回は見ており、ネットの考察サイトも読んでまだ考えているという。あまりにも普通にファン目線であり不思議な気持ちになりました。
  • ケンスケ岩永哲哉は「Qで死んじゃったかと思ってたよ!」今作ではもう株がストップ高キャラの筆頭格ですよね笑 トークでもアニメそのままの声の若々しさで、非常に印象に残りました。
  • 葛城ミサト三石琴乃赤木リツコ山口由里子コンビの信頼感の話は、美しかった。短い言葉で表現するのは難しいが「相手の背中を見ている絆」といった所だろうか。言葉を交わす・顔を合わせる量ではない深く強い信頼関係。まさに劇中のよう。
  • 三石琴乃がヴィレの青緑のバンダナを腕に付けていたのも良かったですね。

*1:後日、腕ユニットという名前が判明。