放課後は 第二螺旋階段で

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植芝理一「ディスコミュニケーション」を新装版で初読みする

新装版 ディスコミュニケーション(1)冥界編1 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(2)冥界編2 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(3)冥界編3 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(4)学園編1 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(5)学園編2 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(6)内宇宙編 (アフタヌーンKCデラックス)新装版 ディスコミュニケーション(7)精霊編<完> (アフタヌーンKCデラックス)
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 私的80年代90年代ブームの流れから、1992年から2000年にかけて連載されていたこの作品を2013年7月6日から21日にかけてようやく読了。

 2000年頃に部分的に見た事がある位だったこの作品を今になって読み通すと、90年代文化の未発見部分が一気に流し込まれてちょっと受け止めきれない感があります。1970年代生まれが20代という時代の距離感をきれいに掴めない。何だか70年と90年と10年の間の距離感に歪みが感じられて‥‥しかしその時期が自分の10代でもあるので、ある時代の空気が丸ごと蘇ることによるノスタルジーもありました。

 分解するのにこう時間がかかる作品ならば、当時から読んでおけば良かったですね。

 長期連載で冥界編・学園編・内宇宙編・精霊編の4部に分けられる今作、絵柄も内容も大幅に変わる各部ごとについて書くと‥‥

冥界編

 今作通しての基盤になる「愛しているからもっと知りたい知ってもらいたい」という関係性がなぜだか泣けてきてしまうのです。第7話「なるきそす」で中心になる「自分という異ならない存在は恋愛の相手にはなれない」というモチーフはこれと対照になって作中何度か登場します。

 順番が前後しますが第6話「ヘンナ日曜日」の盲目になる経験もまた異常表現で普遍的感覚を表現するこの物語全体の元になっています。

 第25話「えでん」と第26話「かげ」の夢の中で海のそばにある家のユートピアで偽の戸川と二人過ごす日々、分かりきった愛はいらないという展開は何となくロシア・ファンタスチカ映画の世界。「惑星ソラリス」で人の心を読む星が生み出した理想化された故郷の幻想のようです。

 この後しばらく夢の中で追体験する「普通の人生」には新人マンガ家植芝理一の人生に対する迷いと超越を共時的に感じました。いやに細かく描かれる普通の幸せに満たされた人生を捨ててマンガ家という魔術師の人生を送ると決めるまでが異世界的に表現されたよう。

 「どうして人が生まれて‥‥そして死ぬのか どうしてこの世界には 嬉しいことや悲しいこと―美しいものや 醜いものが あるのか わたしたちは どこへ 行くのか そして‥‥どうして わたしたちが 誰かを好きになるのか―を 見てしまうから‥‥」

 究極の答えを追い求めずにはいられない運命にある人間たちの物語として完結します。

 ストーリーとは関係ないですが、この辺りで超能力大ジャンプした松笛を上から見下ろすアングルで両足裏が見えるポーズに何となく90年代前半、大友克洋童夢AKIRAが消化された頃を思い起こしました。

学園編

 冥界編終盤と落差の大きすぎて前半部分はいまいち受け止めきれず‥‥
 それでも、「まんが道」をモチーフにしたエピソードで初めて身体に絵を描く回想シーンには特に惹きつけられるものがありました。

 後半では、「げにと尊きは彼女のふくらみ」の死んだ恋人と結ばれながらも現世に留まる多重世界的人生と空の星たちとを重ねあわせる展開により冥界編が後から一段と分厚くなります。

 名エピソードとして有名な「天使が朝来る」では絵柄が急激に変化。魔法の時間「夕方」を効かせた画面に、子供の関係性を忘れてしまうのは天使に撃たれたからという発想から生まれたシーンの数々が残酷に美しいです。ストーリー的には大人になることを止められないという説明が長くてそれほどでも‥‥

 この後に続く「夢の扉」も再び夕日の中の世界。最低人間でも夢の扉を開ける相性を持つならば愛。

 そしてこれらのエピソードの後に続く巻末の1997年に27歳で17歳のことを思い起こすエッセイが名文です。

内宇宙編

 「子供の頃わたしが円盤を呼ぶ事ができたなんて わたし本人もすっかり忘れてるんじゃないかしら?」

 このシリーズは特に突き抜けて変というのか、一体どうしてこんなことを書けるというのか‥‥受け止めきれない、受け止めきれた部分についても説明を忌諱してしまう所があります。

 「ABCのB」→「鏡の中の恋人」の自分との愛、 「メグミとユキヒロ」→「眠り姫」の新鮮な感情を求める事について流れを作る感覚は説明しやすい良さの部分です。
 

精霊編

 「夢使い」へのほとんど番外編的なエピソード。絵柄というよりコマ割りが大幅に変化しています。何だかマンガになっている。タチキリが増えて本の端の色が黒に。

 ここで主人公の一人になる三島燐子がマッチ炎で円を描く絵的リズムがいいですね。覚醒夢の世界に人の心が一番大事にしているものがあって精神の生死が分かれる描き方は連載当時読みたかった‥‥1999年。

 この後に続く「夢使い」を読むとさらに深められそうな展開の中でこの作品は終わりとなります。

新装版という状態

 絵柄が変わりすぎて表紙と中身が同じキャラとしばらく分からなかったですねこれ‥‥
 連載当時のコメント・今のコメント・イラストなど全収録しているのが本としてすばらしいです。この方式で「夢使い」も、別作家の他作品も出て欲しいくらい。

2013年08月21日追記

 読んでいる間に薄々と感じていた1990年代文化埋蔵資源の掘り尽くし不安が的中してしまいました。レトロ的な楽しみを失ってひどく寂しい。